
今回は、日光市猪倉にて見かけた「謎の塚群」を取り上げたいと思います。
日光市は、旧今市市も含めて古墳は存在しないと理解していましたので、これまでほとんど深追いしていませんでした。
ただし、日光方面に出かけた際に、街道沿いに明らかに人工的に盛られたと思われる塚が存在するのを何度も目にしており、塚の横を通り過ぎるたびに気になって、Googleマップに位置を記したりしていました。
だんだんと記した塚の数が増えてきたこともあり、また塚の由来を知りたくなってきたこともあり、今年になって日光市内の図書館で調べてみました。
古墳に関しては、やはり現状は存在しないということではありますが、塚に関しては多少わかってきたこともあるので、ここで一度、見に行った塚を整理しておこうと思いました。(アップしておかないと、何年も放置しちゃうしね。笑。)
というわけで、まず最初は日光市猪倉で見つけた正体不明の塚群です。
この塚群は、車で移動中に偶然に発見しました。
最初にここを通過したのが真冬で下草が枯れていたこともあり、南基もの塚が密集してボコボコと盛り上がっているのを見かけた時は「まさか古墳群?」とびっくりしました。
あらためて写真を撮りに行ったのはわりと最近です。(真冬に撮っておけばよかったとちょっと後悔。。。)
図書館で、この塚に関する記述のある文献を探しましたが、この周辺にある塚の記録は色々と見つかったのですが、この塚群の記述はなかなか見当たりません。
仕方がないので、写真を撮りに再訪した際に、地元の人に聞き取り調査を敢行しました。(´д`)┌
画像の林の中に、8基もの塚がはっきりと残されています。
旧今市市や現在の日光市の遺跡分布地図は実はまだ見たことがなくて(あるかないかわからないのが実情ですが)、名称や「××号塚」みたいな番号はわかりません。
なので、当日撮影した順に紹介します。

1基目。
もっとも道路沿いにあり、最初に視界に入った塚です。
この、道路沿いにある最初の塚だけは東西に細長い感じで、たとえば道路の敷設工事により崩されてしまったのか、それとも単なる残土の山なのかよくわかりません。

1基目を南から見たところ。

2基目。
1基目より奥(東)にあるかなり小さな塚で、古墳という感じはしないかも。。。

さらに奥の3基目。
中くらいの塚です。
塚の大きさはまちまちな感じで、やはり古墳群ではなく塚群なのかなあと感じます。
左奥に一番大きな塚が見えています。かなり密集した様子がわかると思います。


さらに奥の4基目。
中くらいの塚です。
右奥に、1基目の塚が見えています。

もっとも東にある5基目。
中くらいの塚です。
この塚は、塚上にあった木が根こそぎ倒れていて、頂部に穴が空いています。
内部になにか見当たらないかと期待しましたが、雑草でよくわかリませんでした。。。

6基目。
これも現状径6~7mほどの中くらいの塚です。

この7番目の塚がもっとも大きくて高さもあり、まるで古墳のようです。
路上からも最も目を引く塚ですね。。。
現状の直径は8~10mほどでしょうか。

8基目は最も北にある塚で、中くらいの大きさ。
雑草が多くて、全体像のわからない状況でした。
さて、この塚群について、道路を挟んだ西側のお宅のおばあちゃんに話をお聞きできました。
おばあちゃんが若い頃、歳の近い友人がいて、その友人の叔父さんが地元の名士という感じの人で、教師をしていたそうですが(イメージ的には明治後半か大正生まれ、という感じじゃないかな。。。)、その叔父さんから当時に聞いた話ということで、戊辰戦争の兵士が福島方面に向かう途中で力尽き、亡くなった人たちを埋葬するために地元の人が築いた塚だと伝わっているそうです。
この周辺地域では、戊辰戦争にまつわる塚が数多く残されているようですし、史実である可能性は高そうですよね。
また東側の民家のご主人にお聞きしたところでは、近くにあった猪倉城に関係する合戦の際に亡くなった兵士が埋葬されているという伝承があるそうです。
ちなみに、『故里百話 今市の懐旧』という書籍の「首塚」という項に「下猪倉に笹の丸という猪倉城の出城があり、近くの犬塚橋の辺りに二つの土盛りの塚がある。里民は首塚と云い伝えている。」とあり、また『郷土史 猪倉町・木和田島町・大沢町』にも同様の記述が見られます。
犬塚橋の南東という記述からして、この塚群のことを指しているのではないか?とも感じるのですが、塚は8基あり、「二つの土盛り」という記述には合いません。
このあたりの真相解明は今後の宿題ですね。。。

ここまでの8基は道路の東側に密集していましたが、最後の1基は道路を挟んだ西側にあります。
塚上には祠が祀られています。
これはすごく古墳ぽいよね。笑。
この塚群、今のところ学術的な調査の記録は見つかっていませんが、少なくとも塚の名称ぐらいはあるんじゃないかな?と思うのですが、黒れは詳細がわかったら追記しようと思っています。
伝承の通り、少なくとも古墳ではなく、後世に築造された塚なのかな?と感じますね。。。
それにしても。。。
風呂に入ろうとして扉を開けたら窓に何かくっついていて、よくみたら巨大なスズメバチでした。
ぶうううんと大きな音で飛び始めたので、慌てて扉を閉めました。
素っ裸じゃスズメバチとは戦えないよね。
風呂場には毎年何かが侵入してくるのですが(昨年はムカデとなめくじ)、いまだに慣れない毎日。。。
<参考文献>
福田分次『郷土史 猪倉町・木和田島町・大沢町』
渡辺武雄『故里百話 今市の懐旧』
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- 2023/05/22(月) 19:37:35|
- 日光市の塚
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| コメント:2
とらちゃんさま、こんばんは!
カウントできた塚は9基ありましたが、塚が一直線に並ぶいわゆる十三塚のような形態ではなく、不規則に点在している状況でした。
実際には発掘調査が行われないと,真相はわかりませんね。。。
- 2023/05/25(木) 21:08:10 |
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- ご〜ご〜ひでりん #G67hs.TE
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