
今回は、以前にも一度取り上げた、中野区江古田4丁目に所在したとされる「金塚」の石碑のその後です。
金塚は、豊島塚のうちの1基ではないかと伝わる塚です。
室町時代後期の文明9年(1477年)4月に豊島泰経と太田道灌との間で行われた「江古田・沼袋原の合戦」とは、現在の中野区江古田・沼袋地域で行われた戦いで、この地域では、その戦死者を葬ったといわれる「豊島塚」の言い伝えが多く残されています。
「金塚」とは、やはり豊島塚のうちの1基ではないかと伝わる塚で、須藤亮作著『物語 豊島氏』によると、大正の頃には直径3m、高さ1.5mほどの円形の塚が残されており、土地の所有者は雑木林を開墾して芝生にしたものの塚には触れず、彼岸やうら盆に花や線香を供えて供養したといわれています。
残念ながら塚自体は、昭和10年(1935)頃に中新井土地整理組合により行われた道路整備により塚は削平されてしまいましたが、付近からは多量の人骨が出土したともいわれています。
跡地周辺には、当時の土地の所有者により供養のために建てられた「金塚」と刻まれた石碑が残されていたのですが、撤去されてしまったのではないかという情報を受けて、久しぶりに現地を訪れてみました。
が、やはり石碑はすでに存在しません。
所有者のお宅にてお伺いしたところでは、自宅の新築に伴い、神社の神主さんを呼んでお祓いをしたうえで撤去したということでした。。。

石碑は、業者によって中野区歴史民俗資料館に運ばれた、ということなので、さっそく見学に訪れました。
う〜ん。ここに来るのは5〜6年ぶりだぜ。笑。

金塚の石碑は、資料館の建物の東側、山崎家茶室との間の敷地に設置されていました。
「とうご」という漬物用の大樽の横で、資料館が開館していればいつでも見学できると思います。
もう2〜3年も前に移設されたそうですが、不覚にも全然知らなかったぜ、と。。。

金塚の石碑の現在の様子。
今も健在でした。

石碑の背面の様子。
破棄せずに、業者によって持ち込まれているというあたりも、東京都いう街の文化的意識の高さを感じますよね。
なんにせよ、石碑が保存されてよかったです。
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- 2023/05/19(金) 23:55:50|
- 中野区の古墳・塚
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| コメント:4
こんにちは。
あ~っ、こここの間行きました(笑)
と言っても私のお目当ては「幽霊」でしたが(^▽^;)
石碑の写真も撮ったと思います!!
東洋大の創設者井上円了の哲学堂公園から円了の墓、野方配水塔など見どころいっぱいの地域です。
ところで、裸でスズメバチは怖いですね。ケガが無くて良かったです(^▽^;)
- 2023/05/23(火) 18:25:16 |
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- torikera #frK3hhYY
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こんばんは!再びです!
「幽霊」で驚かせてしまいましたが、実はこちらに所蔵されている「幽霊」は、哲学堂公園の山門「哲理門」の中に置かれていた「幽霊」と「天狗」です。
哲学者「井上円了」(東洋大創始者)は、大の妖怪好きで、この世とあの世の?不可解な出来事を解明しようとした人でもあります。
哲学堂公園は、円了の世界観を具体化した場所なのですが、俗世界と哲学世界の境界の門に何と「幽霊」と「天狗」を置いたのです。公園の門には複製が入っていますが、実物が博物館に所蔵され、期間限定で公開される事があります。訪問時は残念ながら公開されていませんでしたが!
- 2023/05/25(木) 23:55:24 |
- URL |
- torikera #frK3hhYY
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こんばんは!
哲学堂公園は一応何度か訪れていまして、山門の幽霊と天狗の話は何かで読んだ気がするのですが、すっかり忘れていました。
東京を離れたら、東京の記憶がどんどん薄れていてまずいです。。。m(_ _)m
- 2023/05/27(土) 19:47:40 |
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- ご〜ご〜ひでりん #G67hs.TE
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