画像は、板橋区高島平2丁目にあったとされる「姥塚」の推定地を南東から見たところです。『東京都遺跡地図』には未登録の塚です。
姥塚は、徳丸村辻山下の西台村との境にあったとされる塚です。かつて荒川がこの台地の裾あたりまで流れていた頃、志村城攻略の時に馬が沈んで渡れずに死んでしまったそうで、そこで後年塚を築いて供養したという言い伝えがあるそうです。塚の規模は40坪ほどもあったそうで、昭和10年の耕地整理で塚を崩した際には出土品は何もなかったそうです。
この姥塚の向かい側(画像の右側)は「離塚」があったといわれている地点です。これは徳丸の辻山と呼ばれる台地の先端部分が決壊して出来た塚状の小山で、古墳などの人工的な塚ではなかったようですが、この地点を『goo地図』の昭和22年の古地図で見てみると、姥塚が前方部、離塚が後円部という感じで、まるで前方後円墳のような形状に見えます。この地域での前方後円墳の存在の可能性は極めて低いように思いますが、ちょっとびっくりします。
塚に立てられていたとされる出羽三山の石祠は、北野神社の境内に移されて祀られています。
<参考文献>
いたばしまち博友の会『板橋の史跡を訪ねる』
板橋区教育委員会『文化財シリーズ第81集 いたばしの地名』
板橋史談会『武州板橋誌(板橋史談 第56号~第59号)』
- 2013/11/20(水) 03:42:55|
- 板橋区/その他の古墳・塚
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