
昨日は、大田原市湯津上に所在する「上侍塚古墳」の現地説明会に行ってきました。
これまでも、調査のたびに行われた現地説明会に足繁く通ってきましたが、今回はSNSはOK!ということをお聞きして、見学の様子を掲載しておくことにしました。
この上侍塚古墳は、下侍塚古墳とともに国の史跡に指定されている前方後方墳で、全長114メートルと、栃木県内の前方後方墳では足利市の「藤本観音山古墳」に次ぐ2番目に大きな古墳で、この地域に集中する6基の前方後方墳の中ではもっとも大きな古墳です。
最初の写真は発掘調査が始まる前の上侍塚古墳で、西から見たところです。
右が前方部、左が後方部という状況ですが、噂に違わぬ美しき墳丘ですね。。。

後方部の北西角のあたり。
説明版と石碑が建てられています。
この古墳はなんと!元禄5年(1692)に日本で最初の学術的発掘調査が行われた古墳として知られています。
儒学者の佐々介三郎宗淳(この人が助さんらしい)と小口村名主の大金重貞が、徳川光圀の命により上侍塚、下侍塚両古墳を調査しており、この記録は『湯津神村車塚御修理』に掲載されています。
この調査は、笠石神社に祀られている「那須国造碑」の碑主が誰であるかを確認するための調査でしたが、残念ながらこれが明らかになる遺物は出土しませんでした。
しかし、このときに出土した鏡や管玉、壺といった多くの遺物は記録に治められ、松板の箱に収められて再び墓中に埋め戻されたといわれています。
日本初の発掘調査、ということは当然ながら前例がないわけなので、当時の調査に関わった方々の苦労が偲ばれますが、あの水戸黄門さまが発掘調査を命じたというあたりからしてワクワクするような経緯ですし、埋め戻されたという松の箱がどんな状態でどこから出土するのか、興味は尽きませんよね。。。

墳丘上で、前方部から後方部を見たところです。
この上侍塚古墳の北800メートルほどにある「下侍塚古墳」は、日本一美しい前方後方墳だといわれています。
これは、森浩一氏が著書の中で、「下侍塚古墳が日本で一番美しい古墳」として紹介したことによると思われます。
実際に見学してみてもほとんど崩れのない墳丘の曲線は確かに美しく、これは上侍塚古墳も同様で、地元の人に大切に保存されてきたことがわかります。
つまり、現状の墳丘は段差のないなだらかな斜面となっているわけですが、近年の地中レーダー調査の結果、なんと前方部は2段に、後方部は3段に作られていることがわかりました。
私は長い間、なだらかな曲線が築造当時の姿であると思い込んでいましたが、実際にはかなりエモい形状だったわけですよね!!!
黄門さまが墳丘を保護する意図で土を盛ったのか、江戸時代には墳丘上に土が堆積してすでになだらかになっていたのか真相はわかりませんが、これには一番びっくりしたかも。。。

後方部から前方部を見たところ。
光圀は、墳丘の盛土が崩れるのを防ぐため松を植えたといわれています。
この保存対策の姿勢は今日の文化財保護のお手本とされ、地元の保存会の活動につながっています。
これには、初めて見学に来たときに「なるほど〜」と思いましたが、文献では松の木は墳丘上ではなく墳丘の周囲に植えたことが書かれているそうです。
つまり、現在墳丘上にある松は、その後に松ぼっくりが墳丘上に落ちて育ったものではないか?ということになります。
これまで私は、墳丘上のすべての松が、江戸時代の調査後に植えられたものとばかり思い込んでいたので、ちょっとびっくり。

「こも巻き」は、冬ごもりする害虫をわらでできた「こも」に誘い込んで駆除する目的で、毎年、霜降の日に行われています。
ネットのニュースではいつも「下侍塚」のこも巻きの様子が取り上げられているようですが、この「上侍塚」でもこも巻きは行われているようです。
写真は2011年10月24日のものです。
こも巻きやっていないかな?と思って行ってみたのですが、終わってしまったあとだったのかも。。。

これは今日の現説の様子です。
古墳が造られた当時のまま残っていた葺石や転落した葺石が確認されており、また墳丘の盛土も確認されています。

古墳の基底部は地山を削って造られてい絵うことがわかったそうです。
「古墳時代の地表面」という札から下は地面を削って整形されていて、札より上は土を盛って造られています。
また、墳丘の傾斜は下っていくにつれて緩やかになっていくこともわかっています。

後方部西側、くびれ部付近の葺石の様子です。

このへんは葺石がよく残っていますよね。

これは、前回の発掘の様子です。
後方部の3段築成の様子がわかりますよね。

かなり特徴的な土器片ですよね。
タコの足みたい?笑。
2列に並んだ「円形浮文(えんけいふもん)」と呼ばれるもので、壺の口の縁に付けられた装飾です。
1列のものは下野市の烏ケ森遺跡や芳賀町の谷近台遺跡で出土しているそうですが、2列のものは県内初だそうです。
奈良県桜井市の3世紀の築造とされる「ホケノ山古墳」で2列の出土があるそうなのですが、それが100年ほど経過した4世紀築造の「上侍塚古墳」で出土したことはとても興味深いですよね。。。

こちらもかなり特徴的な土師器片です。

こちらは今回公開された土器片です。
発掘はまだまだ続くようなので、次回の現地説明会も楽しみにしようと思います。
<参考文献>
公益財団法人とちぎ未来づくり財団埋蔵文化財センター 現地説明会資料『上・下侍塚古墳』
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- 2023/09/24(日) 00:26:38|
- 那須町・大田原市の古墳・塚
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| コメント:2
こんばんは!おおっ、これはこれは大変立派な古墳ですね。
第一スタイル抜群です。
葺石も圧倒的です。
「タコ足」は、どう見てもタコでしたぁ(^▽^;)
- 2023/09/25(月) 23:35:47 |
- URL |
- torikera #frK3hhYY
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こんばんは!
まったく盗掘を受けていないかような美しい墳丘が残されたのは、黄門さまの言い伝えあればこそかもしれませんが、上・下侍塚は、もし機会があればぜひ一度見学に訪れてほしいです。
確かにタコ足はどう見てもタコでした。笑。
- 2023/09/27(水) 23:49:15 |
- URL |
- ご〜ご〜ひでりん #G67hs.TE
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