
前回に引き続き、今回も那須烏山市南大和久に所在する「大和久古墳群」、その第3回となります。
今回は、密集して存在する1号墳から4号墳までの4基の古墳からは若干離れた、5号墳を紹介しようと思います。
というわけで、最初の写真は5号墳の墳丘を北西から見たところです。
前方後円墳である1号墳から東に約150mに位置する古墳で、この5号墳も前方後円墳である可能性が考えられているという疑惑の古墳です。

南から見たところ。
墳丘の状態から、残存する前方部の一部であると考えられているようです。

墳頂部の様子です。
特に祠が祀られているようなこともないようです。

驚きのこの写真!
土地の所有者の旦那様に声をかけて見学させていただきました。
1、2枚目の高まりが写真の左奥にあたるのですが、なんと、後円部にあたると思われる位置には円形を呈する石積みが存在します。
想像力豊かにすると、かつてはここに後円部の高まりがあり、その土留めのためにこの石が敷かれていた、と妄想することもできます。

くびれ部北側あたりに、後円部を崩した際の残土の山ではないか?という高まりがあり、そこには石室を構築していた石材ではないか?とも考えられる河原石が散在しています。
いや、もちろんすべては妄想なわけで、残存する高まりが円墳である可能性も否定はできませんし、ただの塚である可能性だってあるわけで、学術的な調査が行われてみないと真相はわからないわけなのですが、ただ現状の状況からして前方後円墳だったのではないかという妄想は広がりますね。。。
旦那様との雑談の中で、「最近野生動物の活動が活発だから気をつけろよ?」みたいな話をお聞きしました。
見学したのは、「ブラリなすから」の史跡巡りに参加した頃なので、5月の前半だったと思います。
それで、「確かに、つい先日も栃木市内の山中で古墳を巡っていた際、3頭のシカがすぐ近くを走り抜けていって肝を冷やしました。」みたいな話をしたら、「真名子だろ?」と即答されて「なな、なんでわかるんですか?」みたいな会話になりました。
いや、本当に真名子だったんですが、ひょっとしたら農家の方々だけに伝わる情報網でもあるのかな?とか妄想して楽しくなりました。。。
あちこちで古墳巡りをしていて、野生動物に気をつけろという話はたくさん聞きましたが、それでも山の中の古墳は突撃するしかありませんし、暗くなる前に切り上げるしかないですよね。。。

こちらはところ変わって、「寺田支群」の所在地周辺の様子です。
現在の大和久学園の敷地内には、かつて7基の古墳が存在しており、調査報告書も残されています。
写真の周辺では、昭和34年の大和久学園の建設の際に栃木県立烏山高等学校郷土史研究クラブによる発掘調査が行われ、1〜5号墳までの5基の円墳の存在が判明しています。

古墳は調査後にすべて削平されているはずなのですが、駐車場に古墳かのような築山が存在しており、びっくり。
今年9月30日の文化財巡りではここが駐車場になっていたので、すぐ横に車を止めて撮影しましたが、古墳ではないんでしょうね。多分。

築山の様子。
報告書には分布図が掲載されていなかったので、当然ながら5基の古墳の正確な位置まではわかりません。
駐車場に位置していた古墳だけが壊されずに残された、なんてこともありそうじゃないかと思いますが、謎です。。。

その後、昭和60年には、立正大学考古学研究室による発掘調査が行われ、2基の円墳が調査されています。
写真は、2基の古墳が所在したとされる周辺で見かけた、

こちらは、「原の前支群」周辺の現在の様子です。
古くは数基の古墳の存在が確認されていますが、現在ではすべて消滅。
古墳の姿を見ることはできません。
昭和44年に2基の古墳の調査が行われたそうですが、報告書は未刊行で、残念ながらすべての資料は散逸してしまったようです。
<参考文献>
南那須町史編さん委員会『南那須町史・資料編』
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- 2023/10/30(月) 18:45:47|
- 那須烏山市の古墳・塚
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