
今回は、長野県松本市の「弘法山古墳」の探訪の記録です。
この弘法山古墳は、その名の通り「弘法山」と呼ばれる山の頂に位置する古墳です。
昭和49年に行われた発掘調査とその後の研究により、東日本最古級である3世紀後半に築造されたと推定される、かなり規模の大きな前方後方墳であることがわかっています。

車で向かう場合、古墳の南東側に駐車場があるので、そこに車を停めて丘を登ることになります。
徒歩であれば、北西側からも登ってくる道があるようなのですが、私は南東から向かいました。
南東から丘陵頂部に着くと、やがて後方部の先端が見えてきます。
この古墳、存在はかなり以前から知ってました。
こんなに立派な前方後方墳が造られたにも関わらず、なぜか周辺地域にはほかに前方後方墳の存在はなく、またその後の時代に前方後円墳もほとんど造られることがなかったという、いったいどういう人物が埋葬されているのか、またその時代背景も含めてとても興味深いです。
これまで何度かかなり近くを通りがかったにも関わらずなかなか見学するチャンスがなかったのですが、ようやくこの11月に訪れることができました。

弘法山古墳を北から見たところです。
右手前が前方部、左奥が後方部という状況です。
驚いたのはなんと!ちょうど発掘調査が行われているところでした。
古墳の規模を確定するための墳裾部などを確認するための学術的な調査ということで、来年の2月か3月には現地説明会が行われるということです。
お忙しい中、調査の手を止めて30分近くもお話をお聞きしてしまいました。
貴重なお話をお聞きできて、楽しい時間をいただけたことに感謝しています。。。

これは後方部から前方部を見たところです。
ちょうどくびれ部のあたりが掘られていてシートが被せられていますね。。。
古墳の規模は、全長約66m、後方部は幅約47m、長さ約41m、高さ約7.2mで、前方部は幅約22m、長さ約25m、高さ約3.5mです。

後方部から前方部を見たところ。
埴輪の樹立はないようですが、葺石が存在するようです。

後方部上には埋葬施設の様子が復元されています。
第2次世界大戦の末期には、後方部に機関銃座が設置されており、昭和49年の調査時にはこのための大きな穴が3つ確認されているそうです。
ただし、この穴は幸運なことにいずれも主体部を外れており、竪穴式石室状の礫槨が確認されています。
埋葬施設の内部からは、北壁の被葬者の頭上にあたる位置から鉄斧が発見されたほか、獣帯鏡1面、銅鏃1点、鉄鏃24点、鉄剣3点、ガラス小玉などの副葬品が出土しています。

墳丘上からは、北アルプスを背景に松本平を一望することができます。
周囲360度どこを見回しても、素晴らしい眺め。。。

弘法山は桜の名所としても有名で、開花の時期には約4000本の桜が山全体を桜色に染め上げます。
現地説明会と桜の開花の時期が重なればいいですが、それはちょっと無理かな〜。。。

おまけ。
弘法山古墳の南東側に若干の高まりが見られます。
これは、古墳ではないかとも考えられているようですが、今のところは古墳であるという確証は得られていないようです。
<参考文献>
松本市教育委員会『史跡 弘法山古墳』
現地説明板
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- 2023/11/09(木) 20:06:03|
- 長野県の古墳・塚
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| コメント:2
こんばんは!
弘法山ですかぁ。立派な遺跡ですねぇ。墳丘からの眺めが素晴らしいです。
こりゃ、山登りしたような充実感ありですね(*^^*)
- 2023/11/14(火) 19:02:04 |
- URL |
- torikera #frK3hhYY
- [ 編集 ]
こんにちは!
確かに、なかなかこんなに眺めのいい古墳もないかもしれません。
長野は、関東地方とは景色が全然違いますね!
- 2023/11/18(土) 16:38:11 |
- URL |
- ご〜ご〜ひでりん #G67hs.TE
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