
画像は、日野市さくら町にある「富士塚」を南東から見たところです。塚はコニカミノルタ東京サイトの構内に整備されて残されています。企業の敷地内にあるため無断で立ち入る事は出来ませんが、年に一度、東京文化財ウィークに合わせて行われる「塚つかウォーク」で一般に公開されており、見学することが出来ます。
「富士塚」は、永禄10年(1567)の絵図『高幡高麗一族屋敷・下地等絵図』に「ひのさかの臺より富士つかのきわ迄前代あらいかたニ候」と記述されており、少なくとも16世紀中頃には構築されていたものと考えられています。ということは、少なくとも富士講徒によって築造された塚ではないということになるわけですが、一体誰が何の目的でこの塚を築造したのでしょうか。「富士塚」の名称が付きながら、近世の富士信仰の特徴であるクロボク(溶岩)や参道が存在しないのも特徴としてあげられるそうです。

平成20年には測量調査がされており、現状規模は25.5m×15.5m、高さ4mを測り、平面形は円形を基調としています。塚の西側の部分は建物により一部切られており、画像に見られるように断面を観察することが出来ますが、当方800mの地点に所在する「上人塚」と同じように赤褐色土粒を多く含む黒色土が積み上げられて叩き締められて構築されているため、「上人塚」との関係が注目されています。
この、黒色土を選んで構築されているところが古墳との違いといえる特徴であるようで、『東京の遺跡 NO.93』には類例として、青梅市の「富士塚」、立川市の「富士塚」、八王子市の「無名塚」、府中市の「横海道北1号塚」、国分寺市の「尼寺北方の塚」、町田市の「木曽の富士塚」、西東京市の「南入経塚」、世田谷区の「砧大塚」、北区の「平塚」、大田区の「御塚(新田義興塚)」などがあげられていました。

日野市内にはこの「富士塚」の他にも「上人塚」、「まつり塚」など、行政だけでなく企業の理解と努力によって多くの塚が残されているようです。古墳や塚のほとんどが崩されてしまった東京都内において貴重な地域であると思います。。。
<参考文献>
東京考古談話会『東京の遺跡 NO.93 日野台地の上人塚と富士塚〜ランドマークとしての黒塚〜』
- 2013/12/09(月) 02:57:17|
- 日野市/その他の古墳・塚
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0