
今回から、長野県佐久市の古墳を取り上げてみようと思います。
幸神古墳群は大奈良部落の南方、千曲川右岸の平地の東方比高約5mの段丘上の平坦面に立地します。
南方を南川が西流して千曲川に注ぎ、扇状地を形成しており、この台地上に北から幸神、外九間、中原という3つの古墳群が存在しています。
この3つの古墳群の総称として「幸神古墳群」と呼ばれており、佐久市の史跡として指定されています。
画像の「幸神古墳群1号墳」は、古墳群中最大の規模を持つ古墳で、規模は直径約12m、高さ約3.5mの円墳です。

覆土のほとんどは剥ぎ取られて横穴式石室が露出しています。
近くで見るとなかなかに迫力ある光景ですが、石室、羨道は原形をとどめており、復元も可能な状況です。
佐久市内は、こうした石室を見学できる古墳が多く、見どころがあります。。。
ちなみに、この古墳の敷地は新海神社の社地となっていて、墳裾にはこの新海神社の敷地いっぱいに列石されています。
私が最初に見たときの印象が「積石塚」みたいだな?と感じたのですが、そういうことではないらしい。。。

正面から見たところ。
大きな地震がきてぐらぐら揺れたら崩れてしまいそうですよね。。。
横穴式石室は玄室長3.6m、羨道長2.8m、天井石長2.33m、玄室幅3.2m、羨門幅3.9m、幅2.2mを測ります。

天井石です。

側壁。
近くで農作業中だった地元の方に声をかけたところ、「見に行って大丈夫だよ!」とこの1号墳の前まで案内していただきました。
長野に来るたびに、どうしてここはいい人ばかりなのだろうと、いつも思います。。。
その方に、畑で出土したらしい石をお見せいただいて、「これ遺物だよね?」と聞かれたのですが、いつの時代のものかは答えられず、それが悔しかったです。
私は学芸員じゃないし、当たり前ですが。。。ショボ━(๑•́ω•̀๑)━ン...

側壁。

石室内から。
玄室内からは人骨が出土しており、これは鑑定の結果、成人男子の人であることがわかっています。
古墳は厚さ1mの天井石が露出しており、その全景が奈良明日香の石舞台古墳の小形的様相を呈していることから、地元の人からは「ミニ石舞台古境」という声が出たそうです。
この幸神1号古墳は、発掘調査を経て保存、公開されており、大勢の人に見てほしい遺跡ですよね。

古墳の横に標柱が設置されています。
私個人的には、少年時代に長野市内に2年ほど暮らしたことがあり、とても思い入れの深い土地です。
景色もいいし空気はキレイだし人もいいし、何より蕎麦がウマい!笑。
この10年ほどは古墳巡りがメインという感じになりましたが、信州の美味しい蕎麦を求めて色々な地域を探訪しました。歳をとると、お蕎麦のようなさっぱりしたものがさらに美味しくなりますよね。。。
例えば戸隠に向かう場合、軽井沢を抜けて小諸から上田、千曲、長野と千曲川沿いを走るわけですが、そんな中『千曲川古墳散歩』という古墳本に出会い、それから長野の古墳探訪の本気度が上がりました。笑。
結局『千曲川古墳散歩』に掲載されている古墳だけでは満足できなくなり、遺跡地図と睨めっこして古墳を散策することになるわけですが、とりあえずはこれまでに巡った古墳を紹介していこうと思います。
<参考文献>
臼田町教育委員会『臼田町遺跡詳細分布調査報告書』
臼田町誌編纂委員会『臼田町誌 第三巻 考古 古代・中世編』
大子町史編さん委員会『幸神古墳群』
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- 2023/11/17(金) 23:44:31|
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