
画像は、葛飾区立石8丁目の「南蔵院裏古墳」があったとされる推定地を北東から見たところです。葛飾区の遺跡番号12番の古墳です。
明治31年、この土地の所有者が墳丘を切り崩したところ、円筒埴輪の破片など数多くの出土品があったそうです。(当時はなんと、そのほとんどが投げ捨てられていたと云われています。)その後、大正12年以来の鳥居龍蔵氏の調査により、この塚が丸塚と呼ばれる古墳であると確認されています。唯一保存されていた人物埴輪の頭部が鳥居博士により東京大学の人類学教室に寄付されており、これは現在でも東京大学に収蔵されているそうです。また土器破片の一部が、同地にある南蔵院に保存されています。
残されている写真などの資料により、少なくとも明治年間までは墳丘が残されていたことがわかっていますが、その後の開発により古墳の正確な位置や規模はわからなくなっていました。しかし、昭和63年以来の発掘調査によりおおよその位置は推定されるようになったのだそうです。この推定地に散布する埴輪片により、古墳は6世紀後半の築造と推定されています。

画像の右手に見えるのが南蔵院で、左手に見える集合住宅の向こう側にこの南蔵院裏古墳の推定地があります。同じ立石8丁目には「熊野神社古墳」の周溝が検出されており、この周辺に古墳群が形成されていたことがわかっています。周辺に散布する埴輪片の形態から複数の古墳が存在していた可能性も考えられているそうですので、今後の調査による新たな発見が楽しみですね。。。
<参考文献>
東京都葛飾区役所『葛飾区史 上巻』
葛飾区遺跡調査会1993『立石遺跡Ⅲ』
葛飾区郷土と天文の博物館『葛飾遺跡探訪』
- 2014/01/10(金) 04:38:57|
- 葛飾区/立石古墳群
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