
画像は、豊島区池袋本町3丁目の氷川神社の境内にある「池袋富士塚」を南東から見たところです。
この富士塚は、同じ豊島区内の「豊島長崎の富士塚」が土山であるのに対して、石積み方という全山がセメントで固めてあるのが特徴です。
この塚には言い伝えがあり、ある夜、この氷川神社の近くに住む池袋講七世先達篠力蔵の夢の中に木花咲耶姫があらわれ、我を世に出してくれと告げたのだそうです。篠先達は講員に相談して、氷川神社内に富士塚を造山することになりました。先達には予知能力を持つ人が多かったといわれていますが、とても不思議な話ですね。その後、池袋富士塚は明治45年(1912)年に着工され、大正12年(1923)年に完成したそうです。ちなみに豊島長崎の富士塚は古墳を富士塚に改装したものであるといわれていますが、この池袋富士塚はどうなんでしょうか。。。

富士塚には豊島区教育委員会による説明板が立てられていて、次のように書かれています。
池 袋 富 士 塚
富士塚は、さまざまな理由から富士登山ができない人たち
も、これに登れば富士山に登ったのと同じ霊験が得られる
として、江戸時代後期以降、現東京都域および近隣地域に
各富士講集団を単位として築造されたものである。高さ約
五メートル、東西幅約一三メートル、南北幅約一八メートル
を測り、全山がボク石で覆われている。登山道は正面部分に
電光形に設けられており、その道筋ははっきり確認できる。
この池袋富士塚は、明治四五年(1912)六月に池袋
月三十七夜元講によって築かれたものである。塚内に造立
された講碑から、歴代先達の名前や近隣の富士講集団との
つきあいの様子が知られる。一般に、富士塚の石造物は、
頂上に奥宮、中腹向かって右には小御嶽社をあらわす石祠、
中腹向かって左には烏帽子岩を配置するのを基本としてい
る。池袋富士塚の石造物は、こうした特徴を備えているほ
か、経ヶ岳(日蓮ゆかりの霊地)を示す題目碑、合目石、
講碑、教祖角行像、一対の天狗像、さらには胎内が配置さ
れており、充実した石造物群を構成している。
豊島区に残された数少ない富士塚のひとつとして、また
池袋本町地区に展開した民間信仰を考えていくうえでも貴
重なことから、平成十年(一九九八)六月に東京都豊島区
指定史跡となり、保存がはかられている。
平成十一年三月
東京都豊島区教育委員会
<参考文献>
豊島区立郷土資料館『生活と文化 研究紀要 第1号』
現地説明版
- 2014/01/18(土) 03:07:39|
- 豊島区の古墳・塚
-
| トラックバック:1
-
| コメント:2
こんばんは。
何だかこの富士塚は見た目からして興味深いです。
写真左上くらいにうっすらみえるのは何かの像でしょうか??小人みたいですね。。
- 2014/01/24(金) 21:38:48 |
- URL |
- 紅一点 #-
- [ 編集 ]
紅一点さま。
いつもコメントありがとうございます。
ちゃんと富士塚に祀られている石像だと思います。
ひょっとして凄い写真を撮ってしまったかと思って、すべての元画像を確認してしまいました。笑。
- 2014/01/26(日) 04:08:09 |
- URL |
- ご〜ご〜ひでりん #hzwp2T5Q
- [ 編集 ]
豊島区エージェント:貴殿の記事ダイジェストをGoogle Earth(TM)とGoogle Map(TM)のエージェントに掲載いたしました。訪問をお待ちしています。
- 2014/01/18(土) 08:58:07 |
- ケノーベル エージェント