
「表慶館古墳」は、現在の「東京国立博物館表慶館」の敷地に所在したと考えられている古墳です。画像は、台東区上野公園にある「表慶館」を南から見たところで、東京都台東区から発行された『台東区史 通史編Ⅰ』では画像の中央あたりが推定地とされています。台東区の遺跡番号5番の古墳で、『台東区史 通史編Ⅰ』では上野台の古墳群の「第4号墳」とされています。
東京都台東区より発行された『台東区史 通史編Ⅰ』には次のように書かれています。
第四号墳(表慶館古墳)
寛永寺「中堂」の西北方、東京帝室博物館奉献美術館(現、東京国立博物館表慶館)の敷地より、明治35年(1902)に4月25日に古墳の副葬品と考えられる遺物が出土し、その地に古墳が存在していたことが明らかになった。出土遺物は、杯残片1、直刀1括(3)、鍔残片3、鉄蔟1、同残片3、辻金具残片1であった。
杯は、土師器の口縁部片で歴史時代のものとされている。直刀は、鉄蔟(1)現存長10.3センチの切先部残片、(2)現存長31.6センチの刀身片、(3)現存長48.4センチの刀身片である。鍔は、鉄製で3点あり、現存長径3.5~7.0センチ、六透鍔である。鉄蔟は、現存長5.6センチの箆被部の破片であるが、ほかに残片が3点あると言う。辻金具は、鉄地金銅張で、鉢部に四状の凹線がみられ、現存高2.7センチである。このほか、大野雲外が和田千吉より「刀剣玉類」の出土を聞いているので、玉類の出土も考えられるが現存していない。なお、以上の遺物出土地を第4号墳としてきたが、複数古墳の副葬品として捉えることも出来るであろう。(『台東区史 通史編Ⅰ』76~77ページ)
残念ながらこの「表慶館古墳」も跡形もなく消滅しており、痕跡を見ることはできません。。。
<参考文献>
東京都台東区役所『台東区史 上』
東京都教育委員会『都心部の遺跡 1985』
東京都台東区『台東区史 通史編Ⅰ』
現地説明版
- 2014/04/11(金) 01:41:22|
- 台東区/上野台古墳群
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0