
画像は、北区西が丘2丁目にある「北区立梅木小学校」を西から見たところです。
この敷地は、明治38年に火薬や火気類の爆破や射撃の練習場として設けられた「旧陸軍火工廠稲付射場」の跡地で、現在は北区立梅木小学校、西が丘保育園、うめのき幼稚園となっています。この旧陸軍射撃場の敷地内に所在したとされているのが「伊勢塚」で、古墳ではなかったかと考えられています。ちょうど梅木小学校の校舎のあたりに築山があり、その上に射撃の標的が置かれていたそうですが、この築山が古墳だったのかそれともほかの場所に古墳があったのか、正確な推定地はわかりません。
昭和5年(1930)に発行された『岩淵町郷土誌』にはこの「伊勢塚」について、「稲付字梅の木1073、今陸軍射撃場の一角にその面影を見せているもので、明治10年代の書上には「塚一畝十八歩、官有地」と誌されているのがこれであろう。」と書かれており、また「火工廠稲付射場の裏手の柵の際にも稍小さい圓形墳が辛じて残つてゐる。」とも書かれています。
赤羽西5丁目には戦後まで「大塚古墳』が残されていました。周囲にはこの「大塚古墳』を中心に13基の古墳が所在しており、「十三坊塚」と呼ばれていたそうです。この「伊勢塚」もこのうちの1基であった可能性もあるかもしれませんね。

梅木小学校の正門脇の塀沿いには、今でも陸軍用地の標識が残されています。。。
<参考文献>
名著出版『北区の歴史』
歴史図書社『岩淵町郷土誌』
- 2014/04/26(土) 23:31:26|
- 北区/その他の古墳・塚
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