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古墳なう

「大都市、東京の失われた古墳を探せ!」をテーマに、 ご〜ご〜ひでりんが実際に現地に足を運んで確認した古墳や塚の探訪記録。

「袈裟塚」

「袈裟塚」

 「袈裟塚」は、もとは仙光院の参道の西角、現在の荒川区荒川2丁目4番地附近にあったといわれている塚で、有名な「袈裟塚の耳無不動伝説」が今も伝承されています。昭和7年 (1932)に発行された『三河島町郷土史』(入本英太郎氏著)にこの物語りが詳しく記載されていますが、これは旧漢字が難しいので、『隅田川とその両岸 補遺(中巻)』に転写されているものを紹介してみたいと思います。


 光三郎は藩中一の美男と称され、同藩江戸詰、御用人佐野五左衛門の娘きぬ(十七)とは、生前親が赦した許婚であった。当時おきぬは今小町と詠はれたが、其の美貌は少しもおきぬに幸ひず、早くよりお絹に縣想せし同藩都築伊賀の伜兵馬と云ふ放蕩者は或る夜、思ひが叶はぬを遺恨になし、多くの無頼漢を引連れ佐野の宅に押入り、寝込みを襲つてお絹の父母弟新次郎を斬殺しお絹を辣つし去つた。
 元文四年のことである。許婚たる光三郎が此の事件を国元柳川にて聞き驚愕し姑舅や義弟の仇敵を討ち、又お絹の在所を探さんものと江戸に下つたのは、元文四年の初秋であつた。己れは直に父が生前懇意にせる幕臣新庄伊織(布衣)方に寄食なし、浪人姿に身を包み江戸市中は勿論近在迄探索すること数年に及んだ。併し仇敵都築兵馬の行衛は颺として不明であつた。
 吉弘光三郎は今更ながら己れの不甲斐なき事を感じ当のない仇敵など探すより、一そう寺僧になり姑や義弟の無き霊を弔つた方がどんなにか……とさへ思つた。
 江戸下向より八年目、寛保三年光三郎の姿は上野東叡山某院に現れ、身に墨染の法衣を纏ひ、光慧法師となつた。光三郎事光慧和尚は翌々寛延二年の春、上野山内清水堂の前で花見帰りなる吉原遊女の一団中にお絹の姿を発見した。
 お絹の物語りに依ると某夜、兵馬は佐野の一家を斬殺すると直にお絹を引浚ひ、無頼の一味と共に東海道神奈川宿まで落延び、相変らず悪事ばかりしてゐたが金に窮するところから無理に同棲して間もなきお絹を新吉原の妓楼新上総屋七右衛門(一説に巴屋伝助と云ふ)方へ八十両で売飛ばし、そのまま姿を隠したと云ふ。
 薄幸なるお絹は源氏名を紅山と名乗り、苦界に身を沈めたが、生来の美貌と武士娘の気品は勿ち廓中でその全盛を謳はれた。
 光慧和尚は一日山内でお絹に会つてからは、元の浮世風が体に泌み込み、墨染の法衣を身に纏ひ仏に仕ふる出家の身であり、厳しい戒律も忘れ、頭を包み長羽織小脇差しの変装で隠し名を元の光三郎と呼ばせ、役僧の目をくらまし、蔵金を盗んでは吉原へ足繁く通ひ詰め恋と仏と仇討の三つが和尚の頭に渦巻ひた。併し運命は到る処で鉾を逆しまにして二人を虐げた。
 宝暦元年(一七五一)三月某日蔵金を盗みし事を役僧に発見され本山寛永寺執事より「僧形の身を以つて遊女の愛に溺れ、剰へ役僧の目をくらまし蔵金を使ひしは……」と云ふ折目正しき言葉と共に光慧和尚はその夜同寺の裏門からすごすご追ひ出された。(註、東叡山歴代主僧伝には宝暦二年五月光慧悪疾に依り退院とあり)そこへ通り合せた三河島村の植木屋久兵衛なる義侠家が、これを救ひ、連れ帰り、半ば荒廃して当時無住状態にあつた同村真言宗仙光院(同院は阿照山阿弥?密寺と称し明治初年廃絶せり)を中興し、同寺九世の住職にした。
仏罰はそれのみでは済まなかつた。其後光慧和尚は悪疾に罹り、腰が抜け耳が落ちるという始末。或夜のこと同寺の本尊不動明王が夢枕に立ちて曰く「汝御仏に仕ふる身でありながら、厳しき法戒を犯せしは仏罰の程甚だし、なれど大恩うけし里人の諸難を救はば其罪を許す可し……」和尚は今更ながら仏罰の恐しさを感じ、早速村人を救ふ一端として、翌日門前の往還に(今の町役場入口交番の付近)己れの法衣を埋め袈裟塚と称し、日夜、村内五穀成就、往来安全などの祈願をした。之れが今に伝はる袈裟塚の由来である。
 翌年三月には同塚上に石刻高さ六尺余の不動尊を安置し、台石に道しるべなどを刻り、請人参拝人に便利を与へた。併し和尚の悪疾は全快せず、遂に宝暦七年六月十二日「袈裟塚やかやりのはてや、もとの土」と云ふ辞世を残し、寂しく入滅した。時に光慧和尚は年四十二歳であったと云ふ。
 その後幾月かの後、何処ともなく現はれた一尼僧が同寺の門前に空高くそびへてゐた松の巨木で縊死を遂げたと云ふが、恐らく之れは紅山事お絹の後身であつたらうと云ふ。今も同女の墓標が残つてゐる。(『隅田川とその両岸 補遺(中巻)』206〜207ページ)


「袈裟塚」

 「袈裟塚」は、明治29年に当時の3031番地、現在の荒川3丁目22番地にある庚申塚の上に移されており、同時に三峰神社も移されています。この不動尊は花柳病に霊験ありと花街の花街の人たちの参拝が多くみられたそうで、現在でも耳病に御利益があると今も信仰の対象になっています。
 「袈裟塚耳無不動」は、荒川区の文化財に指定されており、三峰神社の門前と境内には荒川区教育委員会による説明板が設置されています。


「袈裟塚」

 「袈裟塚」は、もとは仙光院の参道の西角、現在の荒川2丁目4番地附近に所在したとされており、画像はその荒川2丁目4番地を南から見たところです。手前に見える明治通りから北に進んだ荒川2丁目8番地のあたりが仙光院の跡地ですが、周辺には塚の痕跡は残されていないようです。


「袈裟塚」

 仙光院の跡地には荒川区教育委員会による説明板が設置されており、次のように書かれていました。
   
仙光院と峡田小学校跡
 仙光院は真言宗の寺院で、山号は阿照山阿弥陀密寺。
慶長八年(一六〇三)創建で、阿弥陀を本尊としたが、
2度の火災の後、元禄二年(一六八九)鶴ヶ岡八幡の
荘厳院から不動明王を移し本尊としたという。
 九世は耳無不動(現三峰神社内)を建立した東叡山
の僧光慧。明治になり、廃寺となったが、同二年本堂
を修復し、尾口八郎が寺子屋とした。同十年名川蠖屈
がそれを継ぎ、同十六年峡田小学校がここに開校。同
三十四年、荒川三-七七-一(旧第一峡田小学校)の地
に移された。跡地は三河島村役場となり、昭和七年か
ら荒川区庁舎として使用された。
                荒川区教育委員会


<参考文献>
荒川区立荒川ふるさと文化館『三河島町郷土史』
芳洲書院『隅田川とその両岸 補遺(中巻)』
東京都荒川区教育委員会『荒川(旧三河島)の民俗』
現地説明版

  1. 2014/05/25(日) 00:37:49|
  2. 荒川区/町屋-三河島 微高地
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