
昭和7年 (1932)に発行された『三河島町郷土史』によると、旧三河島村と町屋村における、当時所在のわかる庚申塚として4ヶ所を紹介しています。画像はこのうちの一つ、荒川区荒川4丁目にある「六地蔵」を東から見たところです。
この4ヶ所の庚申塚について『三河島町郷土史』には次のように書かれています。
之れ等の庚申塚と唱へる所は何れも地勢その他より推察すると元は妻夫塚、三つ塚と同種類の古塚であり、後に此所へ庚申供養塔を建立する様に成つてから、之れを庚申塚と呼ぶ様になつたものらしい。塚上に建つ庚申供養塔は別項の如く何れも徳川時代初期のものである。(『三河島町郷土史』333ページ)
現地には荒川区教育委員会による説明板が設置されており、次のように書かれていました。
六 地 蔵
ここには、地蔵・大日如来などとともに、寛文十二
年(一六七二)八月十八日銘をはじめとする青面金剛
を刻んだ庚申塔四基が立っている。庚申塔があったと
ころで本来は六地蔵ではないが、いつのまにか六地蔵
とよび慣わされるようになった。
このあたりは、古くから集落が開けていたところで
ある。江戸の末期には、尾久・町屋から宮地を経て坂
本(現台東区)へと出る通称「江戸道」がこの前を通
っていた。道行く人に安らぎをあたえる道しるべにも
なっていたことだろう。
蓮田の子育地蔵ともよばれ、毎月四の日が縁日で、
十月二十四日にはお十夜祭が行われている。
荒川区教育委員会
現在塚は削平されており、住宅街の一角にこの六地蔵が残されています。訪れた日に、参拝に来た古老の男性と立ち話をしました。若い頃に死産してしまった子供の供養のために毎日お参りをしているそうです。
今でもこの「六地蔵」は地元の人に必要とされており、大切に祀られています。
この地は昔から「宮地の六地蔵」として知られており、三河島字蓮田にあったことから「蓮田の子育地蔵」とも呼ばれているそうです。毎月4の日が縁日で、10月24日にはお十夜祭が行われているそうです。
<参考文献>
荒川区立荒川ふるさと文化館『三河島町郷土史』
東京都荒川区教育委員会『荒川(旧三河島)の民俗』
学生社『荒川区史跡散歩』
現地説明版
- 2014/05/27(火) 09:15:38|
- 荒川区/町屋-三河島 微高地
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