
昭和7年 (1932)に発行された『三河島町郷土史』によると、旧三河島村と町屋村における、当時所在のわかる庚申塚として4ヶ所を紹介しています。画像はこのうちの一つ、荒川区町屋1丁目にある通称「町屋の一本松」と呼ばれる「庚申塚」を南東から見たところです。
この庚申塚について、『三河島町郷土史』には次のように書かれています。
通称一本松と呼ぶ町屋の庚申塚は四坪ばかりの丸形の小丘をなし、雑草茂る中に寛文八年十二月とある庚申供養塔が一基建ち、傍らに古松が一本ある。此の松は元祿六年に植へ替へたもので其の以前には数百年を經た松の巨木が二本空高くそびへてゐたと云ふ。この巨木は貞享二年、同三年と相前後して共に枯死したと傅へられてゐる。此の附近の字名を二本木と呼ぶのは其の名殘りであらう。(『三河島町郷土史』334ページ)

かつては2本の松の巨木が空高くそびえており、その松は貞亨2年(1685)と同3年(1686)に枯死しています。その頃のこの周辺の小字名は一本松ではなく「二本木」と呼んでいたそうです。その後、松は寛文8年(1668)に植え替えられたものの、樹齢数三百数十年といわれた老松も戦災により枯死してしまったそうで、その後更に植えかえられた松が一本と、元禄6年(1668)12月の刻名のある庚申塔が1基、残されています。四坪ばかりあったとされる丸形の小丘は現在は道路により周囲を削平され、「一本松グリーンスポット」という小公園の一角に整備されて残されています。
松の根元からは数百年を経た人骨や刀剣などが発掘されたと伝えられており、この塚が古墳であった可能性を伺わせます。古老の言い伝えによると、この松は「山吹の松」と呼んでいたそうです。

現地には荒川区教育委員会による説明板が設置されています。
寛文八年九月銘庚申塔(町屋の一本松)
この庚申塔は元禄六年(一六九三)に植樹され
たと伝えられる一本松の根元にあった。
町屋の一本松は江戸時代、三河島村との境に位
置し、根元の庚申塔は四坪ほどで丸い小丘をなし
ていたという。今では寛文八年(一六六八)九月
吉日銘の庚申塔が残るのみで、松も戦災で枯死し
てしまった。ただ、『三河島八景』のなかに「庚
申の暮雪」として、庚申塔とかつての一本松が雪
景色を背景に描かれており、往時を偲ばせる。
平成六年誕生した、この”一本松グリーンスポッ
ト”は、町屋の一本松に由来する。
荒川区教育委員会
<参考文献>
荒川区立荒川ふるさと文化館『三河島町郷土史』
荒川区教育委員会『あらかわの史跡・文化財マップ』
芳洲書院『隅田川とその両岸 補遺(下巻)』
学生社『荒川区史跡散歩』
現地説明版
- 2014/05/29(木) 01:44:37|
- 荒川区/町屋-三河島 微高地
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