
昭和7年 (1932)に発行された『三河島町郷土史』には、旧三河島村と町屋村における当時所在のわかる16ヶ所(19基)の塚が記載されています。同書には旧番地ながらも当時の所在地が記してあるので、おおよその跡地を推定する事が出来ます。
「村犬塚」は現在の荒川3丁目辺りに所在したとされる塚で、『三河島町郷土史』の335ページにはこの村犬塚について「之れも塚上に人家が稠密して所在は判然とせぬが、前者は町屋243番地にあり、四坪餘の一小丘をなし、村内にて死亡したる犬を葬る所であり、後に之れを塚となし村犬塚と呼ぶ様になつたと云ひ」と書かれています。ここで問題なのがこの村犬塚の所在地なのですが、上記のように本文中には町屋243番地と書かれているのに対して、同書330ページの表には町屋223番地と書かれており、どちらが正しい所在地であるのかわかりません。東京都荒川区教育委員会より刊行されている『荒川(旧三河島)の民俗』ではこの塚の所在地を243番地としているようですが、塚が消滅してしまった現在、正確な推定地はわからなくなってしまっているようです。
画像は、『荒川(旧三河島)の民俗』で村犬塚の推定地としている、旧大字町屋243番地と思われる地点を南から見たところです。ちなみに所在地を推定するにあたっては、人文社より発行されている明治40年の『北豊島郡 日暮里村•三河島村•尾久村 全図』の復刻版と、荒川ふるさと文化館より発行されている大正14年の『東京府下三河島町日暮里町全図』の復刻版を参考にしました。画像中央の路地の奥が旧243番地であると思われますが、特に塚の痕跡らしいものは見られませんでした。

画像は、旧大字町屋223番地と思われる周辺です。
『三河島町郷土史』の229ページに掲載されている「塚十九ヶ所」の項では、三河島の「庚申塚」の所在地を「三河島243番地」としているので、ひょっとしたら本文中の「村犬塚」の所在地の町屋243番地が間違いで、330ページの塚の一覧表に書かれている町屋223番地が正解なのでは?と考えました。
旧大字町屋243番地と思われる周辺には特に塚の痕跡も見当たりませんでしたが、旧223番地が含まれると思われる区画には画像のように鳥居と祠が祀られている民家も見られます。祠と「村犬塚」との関係は不明ながら、223番地が怪しいのではないかなとも思います(根拠がないも同然ですね)。。。
<参考文献>
荒川区立荒川ふるさと文化館『三河島町郷土史』
東京都荒川区教育委員会『荒川(旧三河島)の民俗』
- 2014/07/30(水) 23:55:01|
- 荒川区/町屋-三河島 微高地
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