
画像は、練馬区大泉町1丁目にある「八坂神社」の境内を南西から見たところです。社殿の向かって右手に築かれているのが「中里の富士塚(大泉富士)」です。
富士塚は、この周辺の字名が「中里」であったため「中里富士」と呼ばれていますが、清瀬市中里にも同じ名前の富士塚があるため、「大泉富士」とも呼ばれているそうです。規模は、南側基部からの高さ約12メートル、径約30メートルあり、中里合目石に沿って頂上まで登ると36基の石造物が立てられています。中でも道祖神の碑は区内で唯一のものだそうです。
石碑の最古のものは寛永7年(1854)造立の記念碑で、ついで古いものは慶応4年(1868)造立の記念碑で、丸吉講によって築造されたといわれる明治6年(1873)よりも古いものであり、富士塚が築造される以前にも、浅間社のような原型のようなものがあったあったのではないかと考えられています。

画像が、南から見た「中里の富士塚」です。塚の前面にはツツジが数多く植えられており、頂上付近のみがボク石で固められています。富士塚としては大型のものなのだそうで、とにかくデカイ!という印象ですね。この富士塚は開放されていますので、いつでも登拝することが出来ます。訪れた日には子供達が楽しそうに登って遊んでいたのが印象的でした。。。
塚の右裾のあたりに胎内と呼ばれる横穴がつくられており、入口に鉄柵が立てられています。

この中里の富士塚は、平成2年に練馬区の有形民俗文化財に指定されており、現在でも地元富士講によって毎年行事が行われているそうです。
<参考文献>
(財)日本常民文化研究所『日本常民文化研究所調査報告 第2集 富士講と富士塚―東京・神奈川』
現地説明版
- 2014/08/25(月) 02:21:50|
- 練馬区の古墳・塚
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こんにちわ。
いつもご訪問ありがとうございます。
いやぁ富士塚立派ですね。それにしても練馬や板橋区など現在ほとんど古墳がないところで、古墳や塚の伝承がこれだけあるなんて驚きです。
- 2014/09/06(土) 09:17:14 |
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- kame-naoki #-
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kame-naokiさま
いつもコメントありがとうございます。
23区内でこれだけの大きな富士塚が残されていることにはびっくりしてしまいますね。
私としては、kame-naokiさんが以前に紹介していた「川和富士」や「山田富士」を見学したいと思っているのですが、残念ながら未だ実現せずです。
- 2014/09/07(日) 16:04:00 |
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- ご〜ご〜ひでりん #hzwp2T5Q
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