
「高倉古墳群」は府中市西方、京王線分倍河原駅の西側に広がる立川段丘緩斜面一帯に位置する古墳群です。これまでに約30基の古墳が調査あるいは確認されており、その多くは墳丘が失われているものの周溝を持つ直径9~26mの円墳で構成されています。このうち、比較的規模の大きい古墳は木棺直葬であると推測されており、発掘された周溝からの出土品から6世紀前半頃の築造と考えられています。また、規模の小さな古墳は河原石積横穴式石室を主体部に持ち、石室から出土した埋葬品から6世紀後半から7世紀にかけて築造されたと考えられています。
「高倉塚古墳」は、府中市分梅町1丁目に所在する古墳で、画像はこの高倉塚を北北西から見たところです。高倉古墳群の中心に位置するこの古墳は墳丘の残存する数少ない貴重な古墳であり、周辺の多くの古墳が削平されていく中、中世から近世にかけて塚として流用されたことにより削平を免れてきたようです。昭和50年(1975)の最初の調査が行われて以降、何度かの調査が行われており、平成13年10月30日には府中市の文化財に指定され、平成16年(2004)に史跡公園として整備、公開されています。

画像は南西から見た高倉塚古墳です。この古墳は古くから知られた存在であったと考えられ、江戸時代の地誌類にもその記述を見ることが出来ます。『武蔵名勝図会』には「分倍の北にて、屋敷分村の裏にあり。この辺をすべてタカクラと呼ぶ。(中略)この府中も国府なれば、国造。国司の居地にて、塚は即ち葬地の標なるべし」とあり、『新編武蔵風土記稿』には「(前略)田間に胴塚、首塚などいひて多くの小塚ありて、其數しらず、其中に就て高倉塚と呼ぶものあり、是古へ國府屯倉の蹟なるべしといへり、今按に天應元年高倉福信遷彈正尹兼武蔵守とみえしことあり、或は福信此府にありて卒し、むくらをここに埋めしも又しるべからず。」と書かれています。

画像は墳頂部のようすです。古墳の規模は推定外径約26m、高さ約2.4mで、形状は円墳であると考えられています。埋葬施設は後世の攪乱により確認されず、また古墳に関係する出土遺物としては坏片1点のみであるようです。

私はこの古墳は好きです。開発が進んで宅地化された地域にあって、住宅街にひっそりと残された高倉塚には趣があり、なぜか気持ちが落ち着くような気がします。アスファルトで固めて建物だらけにしてしまうよりも、こうして歴史と共存する町並みに風情を感じますよね。
画像は夏の高倉塚古墳です。季節によって様々な表情を見ることが出来るのも古墳の良いところかもしれません。冬には黄金色に染まる墳丘も、夏になると青々と輝く姿を見ることが出来ます。

画像は雪の高倉塚古墳です。子供たちの遊び場になってしまっています(笑)。
<参考文献>
多摩地区所在古墳確認調査団『多摩地区所在古墳確認調査団報告書』
府中市教育委員会・府中市遺跡調査会『武蔵国府の調査 30』
現地説明版
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- 2016/08/04(木) 00:21:15|
- 府中市/高倉古墳群
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こんばんは。
わたしも、一度別件の用事の帰りに行ってみたことがありますが本当に住宅街の中にあってびっくりしました。笑
季節によって、古墳も色んな景色で見れますね◎
- 2016/08/04(木) 00:42:58 |
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- 紅一点 #-
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紅一点さま、こんばんは。
実は雪の写真は、すっごく頑張って大雪の日に訪れたんです。笑。都内の雪景色の古墳写真はなかなか撮れないし、3年くらい前の大雪の日に、今だ!と思って向かいましたが、電車は遅れているしバスは動いていないし、丸一日かけて、熊野神社と御嶽塚と高倉塚の3箇所を巡って終了でした。我ながら物好きだなと思います。。。
- 2016/08/04(木) 00:57:30 |
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- ご〜ご〜ひでりん #OsZoF7Es
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