
画像は台東区上野公園、「東京国立博物館」の庭園内に存在する「築山」を南西から見たところです。
さて、画像の築山を発見したのはもうずいぶん前になります。国立博物館の東側に所在するこの築山は大きな円形の塚で、南側には前方後円墳の前方部にあたるような方形の盛土も見られ、その姿はまるで世田谷区野毛にある「野毛大塚古墳」を小さくしたような感じです。上野公園内には「上野台古墳群」と呼ばれる古墳群が存在したとされており、前方後円墳ではないかと考えられている「摺鉢山古墳」が残存しているほか同じ東京国立博物館の敷地内には「表慶館古墳」が存在したといわれています。したがって、この築山も古墳である可能性はないのだろうかと期待が膨らみ、館内の女性スタッフにお伺いしたところ、そのうちの一人が「古墳だという話を聞いたことがある」というお返事。やっぱりと思い色々調べてみたのですが…

その後、図書館等でいくら調べてもこの塚に関する記述はまったく発見できず、鳥居龍蔵氏により大正13年に発行された『武蔵野及其周囲』や、昭和2年に発行された『上代の東京と其周囲』などは購入してまで調べましたが、これまたなんの記述もなし、いくらなんでもあの鳥居龍蔵氏がこれだけの塚を見落とす筈はないし、おかしいな?と思いながらもしばらく放置していたのですが…

昨年、再度東京国立博物館を訪れる機会があり、事情を知る男性スタッフにお話を聞くことができたのですが、これによると当時に勤続していた先輩スタッフからの口承として、「昭和44年(1969)の東洋館の建築の際、基礎工事のために地面を深く掘り下げており、その残土を"平らな地面"に盛ったものがこの築山である」とのことでした。鳥居竜蔵氏の調査は大正時代ですから、昭和44年に作った築山が把握されているわけはないし、結論としては「なーんだ、やっぱり古墳じゃなかったのか、ちゃん、ちゃん」ということのようです。(笑)
ただし、博物館で配布されている『東京国立博物館 庭園散策マップ』には「庭園は何度も改修を重ねており、今ある茶室などものちに移築されたもので、当時の面影を残しているのは、東洋館北側のこんもりと高い築山、中央の池のごく一部分、そして庭の一角の古い墓石のみです。」などと書かれており、江戸時代には既にこの築山が存在していたとしています。このあたりは、正確な情報が記載されてほしいところですよね。。。
- 2015/01/27(火) 08:40:30|
- 台東区/上野台古墳群
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