「揚辻塚」は、狛江市東和泉1丁目に所在したとされる古墳です。昭和35年(1960)に、当時の狛江町全域で行われた古墳の分布調査時に把握されており、『狛江市の古墳(Ⅰ)』に掲載されている『狛江古墳群地名表』には、49番の円墳として取り上げられています。古墳の詳細については「宅地 平夷」とのみ書かれており、当時すでに古墳は削平され、伝承のみが残る存在となっていたようです。
その後、昭和51年(1976)の調査の記録では、「1960年と1976年の分布調査を総合的に判断した結果、存在のきわめて高い古墳である」とされていたようですが、平成7年(1995)に多摩地区所在古墳確認調査団により発行された『多摩地区所在古墳確認調査報告書』には未掲載で、『東京都遺跡地図』にも未登録となっています。
画像は、揚辻塚の所在地と考えられる地点の現在のようすです。マンションの奥のあたりがこの揚辻塚の所在地となるようです。残念ながら、古墳の痕跡はまったく見ることが出来ません。。。
出典:国土地理院ウェブサイト( http://mapps.gsi.go.jp/contentsImageDisplay.do?specificationId=193508&isDetail=true)
画像は、国土地理院ウェブサイトより公開されている、昭和23年(1948)3月29日に米軍により撮影された揚辻塚とその周辺が写されている空中写真です。わかりやすいように古墳の所在地周辺を切り取っています。
この古墳の所在地については、昭和35年の「狛江古墳群地名表」では「和泉2298番地」、昭和51年の「古墳分布図地名表」では「和泉2347番地」、『狛江市史』では「東和泉1丁目28番地」と資料によって記述に違いが見られることから、正確な跡地を特定することは困難ではないかと思われたのですが、この空中写真で揚辻塚らしき存在を確認することが出来ます。揚辻稲荷を水源としていた小川と清水川が並行して流れる南側に、揚辻塚とおぼしき影を見ることが出来ます。
昭和32年の写真では、まだ揚辻塚らしき影を見ることが出来るのですが、昭和36年の写真では影は消えてしまっているように見えます。おそらくは、昭和35年の古墳の分布調査の直前まで塚は残されていたのではないかと考えられます。分布調査で把握されなかったのは残念なところですね。。。
画像は、狛江市東和泉1丁目にある「揚辻稲荷」です。
地元では「谷田部稲荷」とも呼ばれているこの神社はなんと個人所有の神社で、現在でも毎年初午の日に一家の当主が集まり、宮司を呼んで祭事を行っているのだそうです。
社殿の裏側には石垣に囲まれた湧水池が残されています。ここを水源とする小川が、揚辻塚の横を西から東に向かって流れていたと思われます。
現在この池の水は涸れ果ててしまっていますが、1960年代までは水が溢れていて子どもたちが水浴びをして遊んでいたそうです。池に降りる階段も残されていますが、現代でいうプールのような役割だったのでしょうか。なぜか懐かしいような気持ちになる風景です。
<参考文献>
狛江市史編さん委員会『狛江市史』
狛江市教育委員会『狛江市の古墳(Ⅰ)』
多摩地区所在古墳確認調査団『多摩地区所在古墳確認調査報告書』
人気ブログランキングへ
- 2015/01/30(金) 02:10:07|
- 狛江市/狛江古墳群(猪方)
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0