「殿山古墳群 3号墳」は世田谷区大蔵6丁目に所在する古墳です。『東京都遺跡地図』には世田谷区の遺跡番号39-3番の古墳として登録されています。
この古墳は永安寺所有地で、かつては第六天神社が祀られていました。昭和41年(1966)に行われた分布調査により古墳として把握されており、その後、墳丘の北側を日本道路公団の東名高速道路建設により削られています。東京都教育委員会より発行された『都心部の遺跡』にはこの古墳について、「第六天神社境内北側の数10cm程度の僅かな高まりとして観察できる。墳丘北側は東名高速道路工事の際に削られたと思われる。」と記されており、『東京都遺跡地図』では、径20m、高さ1mの円墳であるとしています。
画像は2年ほど前の3号墳の所在地のようすです。この時点ではまだ鳥居の奥には第六天の祠が、また鳥居の左側にはかつて2号墳から移されたという御嶽社の祠が祀られいるようすを見ることができます。

画像が、『都心部の遺跡』にある「境内北側の数10cm程度の僅かな高まり」とされていたと思われる地点です。確かにわずかな地膨れのような高まりが確認出来ます。ちなみに、奥に見えるのが御嶽社の祠です。

さて、画像は現在の3号墳の跡地を、1枚目の画像と同じく西南西から見たところです。この箇所は、東京外かく環状道路と東名高速道路が接続する東名ジャンクションの用地となっているため、現在は周辺の土地とともに買収されて更地となっています。このまま削られて消滅してしまうのでしょうか?
第六天と御嶽講の祠は、現在は別の場所に移転されています。

画像は、旧第六天神社の敷地を南東から見たところです。以前は周囲を宅地に囲まれていたので全体を見ることができなかったのですが、周囲の建物がなくなったことにより全体像を見ることができます。おそらく、『都心部の遺跡』に書かれていた「境内北側の数10cm程度の僅かな高まり」が古墳であるというよりは、この第六天神社の敷地全体が古墳の基底部にあたるのではないかとも思えます。『世田谷区史料 第8集 考古編』にある「殿山古墳群とトレンチ配置図」にも、円形の高まりの上に祠が祀られているようすが描かれています。

画像は現在の第六天神社を南西から見たところです。
この土地の所有者に声をかけて見学させていただきました。ありがとうございました!
<参考文献>
世田谷区史編さん室『世田谷区史料 第8集 考古編』
東京都教育委員会『都心部の遺跡』
東京都教育委員会『東京都遺跡地図』
- 2015/03/03(火) 00:21:01|
- 世田谷区/殿山古墳群
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