
「殿山古墳群 2号墳」は、小字殿山の丘陵で最も高い地点に所在したとされる古墳です。『東京都遺跡地図』には世田谷区の遺跡番号39-2番の古墳として登録されています。
この古墳は、昭和41年(1966)7月に発掘調査が行われています。当時すでに開墾により削られており、径約7m、高さ役1mの墳丘には数本の杉などが繁り、御嶽社の小祠が祀られていたそうです。埋葬施設はかなり破壊されていたものの、凝灰岩の切石を使用した半地下式の横穴式石室が検出されています。
古墳はその後、東名高速道路建設のために完全に消滅しています。画像は、東名高速をわたる「第六天橋」を南東から見たところです。この橋の右側あたりが、2号墳のかつての所在地です。

第六天橋から東名高速道路を見たところです。このあたりに2号墳が存在したと思われますが、この地点は台地ごと削り取られていて古墳の痕跡を見ることは出来ません。時の流れ、恐るべし!という感じですね。笑。

さて、この2号墳の墳丘上に祀られていたという御嶽社の小祠ですが、東名高速道路建設により古墳が消滅した後は、3号墳であるとされている第六天神社の敷地内に移設されていました。画像は3号墳の項でも紹介した、残存する古墳の高まりであるとされるマウンドですが、この後ろに御嶽社の祠を見ることができます。

その後、東京外かく環状道路と東名高速道路が接続する東名ジャンクションの建設のため、御嶽社の祠は同じ大蔵6丁目に所在する氷川神社の境内に移されています。画像がその現在の御嶽社の祠です。最近移設されたばかりのようでピカピカですね。笑。
この御嶽社の祠も、古墳から古墳へ渡り歩いたという古墳に縁の深い祠ということになります。これまで紹介した中では、北区滝野川の「四本木稲荷神社」や狛江市中和泉の「伊豆美神社」も似たような運命を辿った神社であるわけですが、東京都内の古墳は開発のために破壊し尽くされてきた歴史があり、こういったパターンも意外と多いのかもしれませんね。。。
<参考文献>
世田谷区史編さん室『世田谷区史料 第8集 考古編』
東京都教育委員会『都心部の遺跡』
東京都教育委員会『東京都遺跡地図』
- 2015/03/05(木) 02:18:40|
- 世田谷区/殿山古墳群
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