
「殿山古墳群」は、多摩川と仙川により舌状に突出した武蔵野台地の先端、世田谷区大蔵5〜6丁目に所在する古墳群で、『東京都遺跡地図』には現在9基の古墳が登録されています。
この古墳群については江戸時代の地誌に記述を見ることができ、『新編武蔵風土記稿』には「丸山塚 字本村にあり、百姓宗右衛門と云ものの地内にして小さき塚なり、近き頃こぼちし土中より石棺の如き物を得たり、其内に太刀短刀などのくさりたるあり、又壷一を得たり、口の径り六寸、高さも九寸許にして、今云ふ焼の類なり」、また「塚 三ケ所 一ハ岡本村境ニアリ。村民持山ノ内ニテ二間四方許。一ハ愛宕社ノ傍ニアリ。又一モ此辺ニアリ。耕作ノ障ニナリトシトテ近キ頃崩シタレバ、古瓦ノ如キ損タルモノ出シトイヘリ。」と書かれており、『武蔵名勝図会』には「塚 五ケ所あり。この辺は前にも出せし如く大なる塚数ケ所あり。中古以来の事にあらず。上古何人の住居せし跡なるか。字愛宕山と称すは周径廿間程、高さ一丈許。又江戸道の北裏に三ケ所、各同断の高さなり。この内一ケ所は畑のさわりになりけるゆえ土人掘り崩したるとき古瓦など出けりと。又、一ケ所は本村百姓地内にあり。これも先年掘り穿ちしとき甕一個、或は古瓦、刀剱の類を出したり。甕はいま名主石井氏が家にあり。」と書かれています。
『新編武蔵風土記稿』には「丸山塚」という名称のある古墳が存在したようですが、何号墳がこの丸山塚であるかはわからなくなっているようです。
「殿山古墳群 1号墳」は、世田谷区大蔵6丁目に所在したとされる古墳で、世田谷区の遺跡番号39-1番の遺跡として登録されています。この古墳は昭和41年(1966)7月に発掘調査が行われています。当時すでに畑地として開墾が進み墳丘は削平されていたようなのですが、土地所有者が耕作中に耕運機に岩が当たって作業が困難な地点があり、この周辺約5m四方に泥岩が散乱していたことから発掘調査が行われたということのようです。地中からは、半地下式の両袖を有する凝灰岩切石使用の横穴式石室が発見され、玄室内からは直刀や刀子、鉄環、鉄鏃などが出土しています。
画像の道路の右側あたりがこの1号墳の跡地であると思われますが、周辺は開発が進み、古墳の痕跡は残されていないようです。。。
<参考文献>
世田谷区史編さん室『世田谷区史料 第8集 考古編』
東京都教育委員会『都心部の遺跡』
東京都教育委員会『東京都遺跡地図』
下山照夫『史料に見る江戸時代の世田谷』
- 2015/03/07(土) 00:39:59|
- 世田谷区/殿山古墳群
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