
画像は、世田谷区松原にある「半田塚」を西から見たところです。世田谷区の遺跡番号244番にあたる塚です。
半田塚はかなり古くから知られていたようで、江戸時代の地誌『新編武蔵国風土記稿』の松原村の項には「小名スナハチ半田ト云。コノ塚アルユヘニ地名モ起レリト云。高サ四五尺、敷ノ径一間許。何人ノ墳ナリヤソノ来由ヲ伝ヘザレバ、詳ナルコトヲ知ラズ。」とあり、赤堤村の項にも「小名、半田塚、村の巽ノアタリヲ云。東隣松原村ニ半田ト呼ベル塚アリ。(後略)」との記述が見られます。また、この塚には新田氏が鎌倉を攻めた際の残党を葬ったという話や、日露戦争から帰ってきた軍人が軍刀を納めたという話など、いくつかの言い伝えが残されているようです。地元の古老の話では、かつては「大塚さま」と呼ばれており、小さな祠が建てられていたそうです。

「東京都遺跡地図」のインターネット公開版ではこの半田塚は径3m、高さ0.5mの近世の塚とされています。四方を宅地と道路により削られているため本来の規模はわかりませんが、「大塚さま」との名称から考えてもかなり大きな塚だったのかもしれません。元々は古墳(円墳)であると考えられているようですが、塚上に立てられている石碑にも「古墳 半田塚」と刻まれています。
半田塚の入口は施錠されているため敷地内に入ることは出来ませんが、路上からいつでも見学することが出来ます。敷地内には、世田谷区教育委員会による説明板が設置されています。
<参考文献>
世田谷区教育委員会・世田谷区民俗調査団『世田谷区民俗調査第12次報告』
下山照夫『史料に見る江戸時代の世田谷』
東京都教育委員会『東京都遺跡地図』
現地説明版
- 2015/03/09(月) 01:22:59|
- 世田谷区/その他の古墳・塚
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