
画像は、あきる野市菅生に所在する「すってくりょう塚」を南東から見たところです。東京都遺跡地図』には未登録の塚です。
ここは賀治沢といわれる場所で、2つの塚が並んで残されています。別名「ホトトギス塚」とも呼ばれるこの塚は伝説が残されています。現地に立てられた説明板には次のように書かれています。
兄弟塚の伝説
今から凡そ六百八十年前鎌倉に幕府がおかれたその頃この地方に武蔵七党があり、その中の一党横山に菅生太郎経孝と云ふ武士がおり三人の子供「有孝」「経久」「有孝」と云った。長男有孝は父の後を継いで菅生太郎有孝と名乗り経久は分家として五日市宿の小倉に住み小倉次郎経久と云い参男も分家して大貫馬之亮有経と云った。
或る時有孝は北条氏に召され鎌倉に行って不在となった留守に福泉寺より田耕の為に乗馬を借りに来たが主人が不在の為断ったが遇々弟経久が来たので家来が話すと経久は軽く引受けてしまった。
数日後帰ってきた有孝は馬の様子がおかしいので家来に尋ねると田耕に貸した事がわかり愛馬を農耕馬に使用したと経久と口論となり兄弟喧嘩となり家来達がとめても双方ともきき込れず有孝は「経久お前は俺を侮辱したな」と大刀を抜き放ってしまった。弟も負けてはいません二人は激しく戦い乍ら鯉川淵の不動尊から「すめり坂」にかかったその時弟の打下した大刀の先が兄有孝の左耳から首筋深く切り込まれ其の場に倒れ息絶えた。兄思いの弟経久は「兄を殺してしまっては生甲斐なし」とこの大刀で自分の喉を突いて兄の後を追ったのである。
報を受けた菅生家では寺僧と相談の上、兄弟の倒れた「すめり坂」の上の道ばたにある福泉寺の山林に剃髪せず枕を並べ葬ったのがこの兄弟塚であります。
当時は昼間でも暗い森林でここを通ると剃ってくれ剃ってくれと云ふ悲壮声が聞こえたと云う。
又一説にはこの所を南刀地ホトトギスの墓と云ってホトトギスが「おとのどつつきつちよ」と鳴いたとも云はれている。
平成二十四年六月吉日 福泉寺
「すってくりょう」というのは「剃ってくれよ」という意味であるようですが、その後この場所は兄弟2人の怨霊が出るという噂が広まったそうで、幽霊の声は時鳥が啼く声に似ているといわれています。私は昼間に訪れましたが、夜に訪れるとかなり怖い場所かもしれません。地元では有名な心霊スポットにもなっているようです。
画像は左側の塚です。こちらには「すってくりょう」の石標と説明板が立てられています。
画像は右側の塚で、「兄弟塚」の石標が立てられています。
この2つの塚は兄が弟を殺したことから「不如帰の塚」とも呼ばれており、『秋川市・多西郷土精史』には「二つの塚は確実に墳墓であり、この附近には多くの古墳があります」と書かれています。果たしてこの塚は兄弟の墳墓なのでしょうか。それとも古墳なのでしょうか。。。
<参考文献>
秋川市教育委員会『秋川市・多西郷土精史(原著題名 多西村に於ける沿革と史跡)』
秋川市教育委員会『秋川市地名考』
現地説明版
- 2015/03/30(月) 03:07:44|
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