
「草花古墳群2号墳」は、あきる野市草花1492番地附近に所在したとされる古墳です。『東京都遺跡地図』にはあきる野市の遺跡番号59-2番の古墳として登録されています。
この古墳について『多摩地区所在古墳確認調査報告書』には次のように書かれています。
3-2.(草花古墳群)
遺跡地図番号…秋川・五日市(あきる野)59-2
所在地…………秋川市草花1492付近
占地状況………台地
墳丘……………消滅。
主体部…………石室?
出土遺物………蔵骨器?
周溝……………未調査だが地中に残っている可能性がある。
(『多摩地区所在古墳確認調査報告書』50~51ページ)
この2号墳もすでに正確な跡地はわからなくなっているようです。
近年発行されている「草花遺跡・草花古墳群」等の調査報告書に掲載されている遺跡分布図を参考にすると(東京都遺跡地図のインターネット公開版では地図に記されている位置はおよその目安にしかならないが、近年のあきる野市の報告書に掲載されている古墳の位置はかなり正確に記されているようです)おそらく画像の畑地の中か、この画像を撮影する為に私が立っている駐車場となっている辺りが古墳の推定地となるようですが、残念ながら古墳の痕跡は残されていません。
訪れた日にこの畑で作業をしている方にお話を伺えました。
実はこの場所で立ち話にお付き合いいただいた方がなんとあの「土の巨人」と呼ばれた塩野半十郎氏の親戚の方で、私は塩野氏の本や記録を色々読んでいましたのでとにかくびっくり!という感じで、色々と面白いお話も聞かせていただきました。
あれだけの偉業を成し遂げている方ですがかなり変わった人でもあったそうで、草花周辺の畑地は記録に残っている以上にかなり掘り尽くしているそうです。この畑も殆ど塩野氏が発掘したとのことで、「30年以上も前からこの畑を所有しているが、古墳の痕跡らしきものは見当たらなかった」と話していましたので、やはりこの場所ではなく駐車場のあたりが古墳の跡地なのかもしれませんね。
大きな土器が出土することはないものの、畑仕事をしていると小さな土器片はいまでも毎日のように見かけるそうです。

おそらく左奥の駐車場あたりが古墳の推定地。

画像は2号墳の推定地とされる箇所からかなり近距離に存在するマウンドです。2年前に訪れた際には3号墳のときと同様に「あれ?ある?」という感じで、おかしいなとは思いつつもこれが古墳だと決め込んで写真を撮りまくりました。笑。
帰宅してからやはり変だなと思い調べてみたのですが、少なくとも2号墳ではないようなのですが、なんの塚なのかはわからない正体不明のマウンドです。。。

塚上には「戦役記念碑」なる石碑が立てられています。
<参考文献>
秋川市史編纂委員会『秋川市史』
多摩地区所在古墳確認調査団『多摩地区所在古墳確認調査報告書』
追記(2020年12月12日)
その後、地元の心ある方から情報をいただきました。
石碑は、太平洋戦争以前の日清日ロ戦争などの戦役顕彰碑であるそうです。
現在の消防団の建物とこの顕彰碑、杉の木の場所は、明治初期の廃仏毀釈以前は神社であり、現在は公用地となり消防団として使われているそうです。
神社の境内であったということは、やはり戦役顕彰碑の土台となっている塚は古墳を流用したものではないかと妄想したくなってしまいますが、このあたりはまだ真相不明です。
- 2015/05/20(水) 03:34:22|
- あきる野市/草花古墳群
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2号墳はやはりそう思われますか?
発掘調査等が行われるまで待つしかないとは思われますが。
- 2018/08/22(水) 15:00:10 |
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- ご〜ご〜ひでりん #OsZoF7Es
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