
現在の立川市柴崎町2丁目付近には「神明木」と呼ばれる場所がありました。寛文7年(1667)、弘化5年(1848)、慶応3年(1867)の『検地帳』に記されており、寛文7年の『検地帳』には「神明木原」と「神明木」とあります。立川市教育委員会より発行された『立川の地名-立川編-』によると、もともと「神明木原」とよばれた原野があって、次第に耕地化してきて、「神明木」という畑地が生まれたものと考えられているようです。旧番地で2682、2683番地には「神明様」と呼ばれる塚があり、塚の上には小祠が祀られていたといわれており、この「神明様」と地名の「神明木」は関連があったと考えられているそうです。
画像は「神明様」の推定地を北から見たところです。周辺は開発が進んでビルが立ち並び、すでに塚の痕跡はなく、神明様の祠も残されていないようです。
立川市内には残存する古墳は皆無に近い状況ですが、古墳である可能性が考えられる塚の言い伝えは数多く残されています。この「神明様」がどういう性格の塚であったのか詳細はわからなかったのですが、周辺には多くの塚が所在したともいわれており、この塚が古墳である可能性も考えて紹介してみました。
<参考文献>
立川市教育委員会『立川の地名-立川編-』
- 2015/06/30(火) 10:34:41|
- 立川市の古墳・塚
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