
現在の立川市柴崎町2丁目付近には「ひめぎ塚」と呼ばれる塚があったといわれています。『東京都遺跡地図』には未登録の塚ですが古墳であった可能性も考えられており、立川市史編纂委員会より昭和43年(1968)に発行された『立川市史研究』にはこの塚について次のように紹介されています。
現在柴崎町二丁目一六二番地先にあたり、都立蚕糸指導所の桑園内に在る。桜の古木とけやきの古木(すでに両木とも枯損している)があり、かすかに古墳らしい形迹を残しているのにすぎないが、調査の際、打製石斧一枚が、桜の古木の根の間にはさまっているのが発見された。(石斧は所謂打製式の縄文式中期士器
文化に伴う型式のものであり、石質は硬質粘板岩である)桜の古木は、筆者の小学生時代にはまだ枯れずに、毎年わずかながら花を咲かせていたと記憶している。(『立川市史研究 第九冊』59~60ページ)
この『立川市史研究』が発行されたのは昭和43年ですから、少なくとも昭和42年頃まではなんらかの古墳の痕跡が残されていたようですが、その後の開発により塚は完全に消滅しています。
この場所から北西に約200m程の地点に所在する「正一位原市場稲荷大明神」の境内にはかつて古墳が存在したのではないかとも考えられており、『東京都遺跡地図』には「立川市№12遺跡」の名称で古墳として登録されています。この「ひめぎ塚」が古墳であった可能性も多いに考えられると思われますが、残念ながら真相を知ることは出来ませんでした。。。
<参考文献>
立川市史編纂委員会「立川市内に於ける消滅古墳について」『立川市史研究 第九冊』
立川市『立川市史 上巻』
- 2015/07/02(木) 08:38:53|
- 立川市の古墳・塚
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