古墳なう

ご〜ご〜ひでりんの古墳探訪記

「銭塚と金塚」

「銭塚と金塚」

 「銭塚」と「金塚」は、杉並区南荻窪1丁目に所在したとされる、『東京都遺跡地図』には未登録の塚です。画像はこの2基の塚の跡地を西から見たところで、左手前あたりに銭塚が、左奥に金塚があったといわれています。

 『井荻町史』にはこの銭塚について、「銭塚は荻窪川南宇田川権左衛門氏の地所内入口西方に高さ数尺の塚がある。何時の頃何人が築いたものか判らないが、土俗之を銭塚と稱えて、これに手を觸れることを嫌っている。先年道路拡張工事の際、その一部を削り取ったけれども、大部分は今尚存して宇田川氏方で厳重に保存に努めている。古老の言う所に依れば、昔此の地に百万長者があって、その貯えた金銀財宝の散乱せんことを懼れ、此処に埋めたものであると伝えられている」と、この地に残されている塚の言い伝えについて書かれています。
 この百万長者は金銀財宝を地中に埋めた目印と盗掘を防ぐために塚をお墓の形に仕上げたといわれ、塚をあばくと祟りが起こると言い伝えられていました。明治の半ば頃には、博打に負けて一文無しになった三人の遊び人達がこの伝説を真に受けて財宝を掘り出そうとかね塚を掘り始めたそうです。村人達は「祟りが起こるだけだからよしなさい』と忠告したものの遊び人達は忠告を聞かず、いっそう張り切って掘り続けました。その後、日が暮れて一休みしようとたき火を囲み、酒を飲み始めた遊び人達は、原因不明の高熱を出して倒れてしまいました。ようすを見に来たよろず屋の主人は苦しむ三人を見つけ、村中に知らせて皆で介抱したそうですが、遊び人達は「あついよぉ、あついよぉ」「悪かった、勘弁してくれ」などとうわ言を言いながらその夜のうちに亡くなってしまったそうです。これを見た村人達はこの激しい祟りに恐れて塚を埋め戻しましたが、この際に塚の高さは以前の半分位になったそうです。


「銭塚と金塚」

 その後のかね塚にも不思議な話が多く残されています。この周辺は大正15年(1926)に区画整理が始まりましたが、村人の多くはかね塚を掘り起こそうとしてなくなった遊び人達の話を見たり聞いたりしているので、祟りを恐れて塚の場所だけは手を付けずに残ってしまっていました。昭和8年(1933)にいよいよ塚が取り崩されることになり、お坊さんを招いて関係者が参列のうえ盛大に塚の供養がしてから、工事が行われたそうです。
 かね塚は、何も知らない人夫が簡単に地ならしをしたので何も起こらなかったそうですが、区画整理後にかね塚の隣接地の建築工事中にお骨が四斗樽一杯に出土したそうです。この報せを受けた地主さんがバケツを持って拾いにいきましたが、その晩、この地主さんの長男が高熱を出して苦しみ、地主さんは夜通し看病しました。これが不思議なことに、夜が明けると熱か下がって治るのですが、次の晩にはまた高熱が出て苦しみ、また夜が明けるとけろりと治ってしまうのだそうです。かね塚の祟りかもしれないと考えた地主さんのご主人は、骨が出た場所とバケツのお骨にお線香を上げて拝んだところ、その晩から熱を出さなくなったそうです。
 また、かね塚の跡地にはその後住宅が建てられたそうですが、非常に景気の良かった会社の社長さんが入居したところ、2、3年後には倒産してしまうなど持ち主がたびたび変わり、この頃から周辺の住人の間では幽霊が出るなどと噂されるようになりました。杉並郷土史会より発行された『杉並区史探訪』には、この当時に入居していた人の不思議な話が掲載されています。


 あの家の入手経路は分かりませんが、当時は公団の社宅でした。私が入居する時、「お化けが出るから止しなさい」と皆から忠告されましたが、仏像収集等の古典趣味家の私は「お化けが出たらお茶でも出して語り合うよ」と、冗談を言い、また真実そう思って居りました。入居後地元の方から、集団で幽霊が出る話を聞いたことがありましたが、余り気にしてはいませんでした。私達夫婦は二階を寝室に使っていました。十二月の或る晩二時頃、ふと目を覚まし何気なく廊下の方を見ると、雨戸の辺りがボーッと明るいのです。よく見ると坊主頭の人影がペコペコ頭を下げているではありませんか、背筋がゾット寒く、肝っ玉がちじみ、下腹が締めつけられる思いがしました。間もなくスーッと消えて暗くなりました。本当に幽霊だったのか、幻覚だったのかはっきりしませんが、家内達が気味悪るがるので、急いで移転しました。その後入居希望者がない為家屋は取壊し、土地を売りに出しましたが、売買の話がいつも最後の詰めで壊われ、仕方なく公団自営の高層住宅の計画を立てましたが、これも計画段階で難しいとのことで、放置してあるのです。世の中には科学で割り切れない何物かがあるのではないでしょうか」(『杉並区史探訪』89ページ)

 また、「ぜに塚」も、昭和8年(1933)の区画整理により取り崩されています。『杉並区史探訪』には、土地の所有者により語られた削平の際のようすが次のように書かれています。


 (前略)直径二・三間、高さ五・六尺位の盛土でしたが、昭和八年区画整理の時に、現在地に移転したのです。父権左衛門は、明治の中頃、銭塚の隣りに有った金塚を発掘した時、三人の方が即日亡くなった事件を見たと言って、移転には随分気を使い、中道寺のお坊さんにお経を上げて貰ってから発掘致しました。盛土を取り除きましたところ、下の地山(赤土の層)に掘り下げた様子はなく、盛土の中から鉄の部分(小刀または穂という)がボロボロに腐った赤銅作りの小柄(こずか)が一個発見された外は何も有りませんでした。盛土を庭へ運び、小柄を埋めて現在のように保存したのです。(中略)伝説では、金銀財宝を埋めたといわれていますが、金塚銭塚に、昔の戦死者か、疫病で亡くなった方を集団埋葬した古墳だったのではないでしょうか。
『註』同家の最古の位牌は元禄四年没権左衛門氏また小柄が初めて制作されたのは、室町時代(1400年代)ですから、それ以後の築造と推定されます。(『杉並区史探訪』87ページ)


 これら多くの情報から判断すると、ぜに塚とかね塚は古墳ではなく後世の塚だったのではないかとも考えられますが、塚が消滅してしまった現在では残念ながら真相を知ることは出来ません。

 画像は、杉並郷土史会より発行された『杉並の伝説と方言』152〜153ページに掲載されている往時のぜに塚とかね塚です。並んで存在する二つの塚の間には祠が祀られているようすがわかります。銭塚の墳丘には遊び人達に掘り返された跡が残されています。


「銭塚と金塚」

 現在の「ぜに塚」は住宅街の中にひっそりと残されています。。。

<参考文献>
杉並郷土史会『杉並風土記 上巻』
杉並郷土史会『杉並の伝説と方言』
杉並郷土史会『杉並区史探訪』
杉並区教育委員会『杉並の地名』

  1. 2015/07/08(水) 02:40:09|
  2. 杉並区
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:4
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コメント

こんばんは。

南荻窪、習い事で通っていた所だったのでそこにも古墳があったのかー!と驚きです。

祟りみたいなお話しは、野毛大塚古墳で怖いって想っていましたが、結構あるものなのですね。
  1. 2015/07/09(木) 01:29:42 |
  2. URL |
  3. 紅一点 #-
  4. [ 編集 ]

紅一点さま

恐らく都内のどこにでも古墳はあったのではないでしょうか。
祟りのお話は多いですよね。というより、祟りの伝説があったからこそ古墳が残されていたといえるかもしれません。
  1. 2015/07/10(金) 00:46:57 |
  2. URL |
  3. ご〜ご〜ひでりん #hzwp2T5Q
  4. [ 編集 ]

凄い調査力ですね。

上荻に丸山(城山)という古い地名があります。また、善福寺川の矢倉橋南側にも尾崎城という城があったそうです。 
つまり、善福寺川を挟んで軍事境界線を形成していたのかも知れません。そのため、中世の戦死者をお祀りしたものが有力に思えます。
  1. 2017/08/03(木) 20:06:34 |
  2. URL |
  3. 上荻の元住人 #-
  4. [ 編集 ]

上荻の元住人さま、こんばんは。
コメントありがとうございます。

尾崎城の存在は知りませんでした。杉並区内の塚や古墳は早くに削平されていて発掘調査が行われていないので、何ともいえませんが、銭塚と金塚に関しては、やはり中世以降の塚かもしれません。
  1. 2017/08/06(日) 23:17:45 |
  2. URL |
  3. ご〜ご〜ひでりん #OsZoF7Es
  4. [ 編集 ]

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