
大田区南六郷2丁目に所在したといわれているのが「雑色・天神山遺跡」です。『東京都遺跡地図』には大田区の遺跡番号221番の「時代不明の墳墓」として登録されています。
「雑色・天神山遺跡」については江戸時代の地誌『新編武蔵風土記稿』に記載があり、「村の西北、百姓八郎右衛門か構への内にあり、昔この地へ天神を勧請せしことあり、今はその宮居もなし、されど此名のこれり、纔に一畝半ばかりの間にわだかまれり、山と云ほどのことにはあらじ、」と、当時のようすについて書かれています。高さ約3mほどの土饅頭形の塚であったといわれ、昭和10年頃までは存在していたようですが、その後の開発により消滅しています。
大田区教育委員会より発行された『大田区の文化財第22集 口承文芸(昔話・世間話・伝説)』には「下雑色にお塚様って山みたいになった塚があった。ここは、昔、日本武尊が奥州征伐に行くときにね、チャンバラやって、死人をそこへ寄せたんだと、その辺の人のいい伝えになってますね。こんもりした木が茂って、塚があった。その南側に六郷用水が流れていて。」と、この塚の言い伝えについての古老の口伝が書かれています。
この塚の跡地については正確な場所が把握されており、画像の道路の左側の工場の場所が塚の所在地にあたるようですが、残念ながら塚の痕跡は何も残されていないようです。。。
<参考文献>
東京都大田区史編さん委員会『大田区史(資料編)地誌類抄録』
東京都教育委員会『東京都遺跡地図』
大田区教育委員会『大田区の文化財第22集 口承文芸(昔話・世間話・伝説)』
大田区教育委員会『大田区の文化財第30集 考古学から見た大田区 ―横穴墓・古代・中世 資料集―』
- 2015/07/27(月) 03:38:22|
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