
大田区西六郷1丁目付近に所在したとされるのが「小鳥塚」です。『東京都遺跡地図』には大田区の遺跡番号207番の「古墳(円墳)」として登録されています。
この古墳については古くからその存在が知られており、多くの文献に記述を見ることが出来ます。江戸時代の地誌『新編武蔵風土記稿』には「村ノ東南ノ方用水堀ノ涯ニアリ。或ハ獨鈷塚トモ呼ブ。二三歩ノ間ニワタカマリタル僅カノ塚ナリ。土人此塚ニ觸ルルモノアレバ、必祟アリトテ敢テ近ヅク者ナシ。」と、祟りの言い伝えにより塚に近寄る者はいないことが書かれています。また、その後大正時代にこの周辺地域を調査した大場磐雄氏は『武蔵蒲田町に於ける沖積層地の原始時代遺跡(歴史地理第47巻 第4号 67ページ)』の中で「タブーされたる古墳なり。余の調査には遂に発見せざりき。」とあり、大正の終り頃には古墳はすでに消滅していた可能性を指摘しています。
また、別名「子取り塚」ともあり、雨の降る真夜中に赤子の声が聞こえるという言い伝えも残されていたようです。
この周辺の地名は、村内を通る鎌倉街道の近くにこの小鳥塚があったことにより「道塚」と呼ばれるようになったといわれています。画像の、道路の右側あたりが古墳の推定地であると思われますが、正確な跡地は特定できず、古墳の痕跡を見つけることはできませんでした。。。
<参考文献>
東京都教育委員会『1985 都心部の遺跡』
東京都教育委員会『東京都遺跡地図』
谷川磐雄「武蔵蒲田町に於ける沖積層地の原始時代遺跡」『歴史地理 第47巻 第4号』
大田区教育委員会『大田区の文化財第30集 考古学から見た大田区 ―横穴墓・古代・中世 資料集―』
- 2015/08/08(土) 00:49:33|
- 大田区/その他の古墳・塚
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