
大田区大森東4丁目に所在したとされているのが「三輪厳島神社塚」です。『東京都遺跡地図』には大田区の遺蹟番号148番の”中世の墳墓”として登録されています。
この塚は、旧厳島神社(昔の弁天堂の場所であり、現在の社務所)の場所にあり、この境内は周囲の土地より高くなっていたことからこの弁天社は一名高塚神社とも呼ばれていました。石段を上りつめた頂部に拝殿と本殿が鎮座しており、塚の規模は、直径約8.5m、高さ約2mほどであったと考えられています。その後、昭和6年(1934)に旧社殿の境内地が道路改修のために道路を挟んだ西側に社殿を新築することになり、六尺以上も高かった旧社殿地は周囲と同じ高さにするために切り崩したところ、人骨や板碑のほか、多くの遺物が出土しています。
画像が、「三輪厳島神社塚」が所在したとされる現在の社務所です。すでに高さもなく、周囲の景観に馴染んでいるようにみえるこの社務所の場所に塚の痕跡を見ることは出来ません。

画像は、大田区大森中2丁目にある密乗院内に建立されている「古墳各霊乃塚碑」を北から見たところです。「三輪厳島神社塚」の発掘の状況はこの石碑の裏面に刻まれた碑文により知ることができます。この碑文は、次のような内容であるようです。
昭和6年6月3日川端区の鎮守である厳島神社境内から、はからずも板碑と十体あまりの人骨を発掘した。そして、これらの板碑に誌されていた年号は、正和五年応永32年文明6年等の古くは600年前のものであった。これは、大森の郷土史上の研究に資することは、図り知れないことである。ここに、川端区は、古墳との縁が浅くないことから、これらの人骨を集めて密乗院に合葬して、その沿革を墓誌に誌して、長く各霊の冥福を弔うことにした。昭和6年7月建立 川端区(『大田区の文化財 第30集 考古学から見た大田区』147ページ)
その後の昭和61年、「古墳各霊乃塚碑」の土台の一部が崩れたための修理の際に、土台の内部の清掃中に板碑片や中世陶器、古瓦、北宋銭等が発見され、大田区教育委員会により当時の文献と検討しながら遺物整理を行った結果、遺物は間違いなく三輪厳島神社塚から発掘された出土品であることが確認されています。
発掘当時の文献や多くの出土品から、この塚は古墳ではなく中世の墳墓であることは断定されているようです。

画像は、現在の厳島神社を南東から見たところです。なんと、この「三輪厳島神社」はかつて大森地区の名産であった大森海苔の神様なのだそうです。境内に立てられている「厳島神社由来」には次のように書かれていました。
厳島神社由来
大森海苔の守護神として古来より伝わる
かしこくも、当社の祭神は素盞嗚尊の御女市杵嶋姫命にまします。謹みて創立の起源を神記口碑に因り案ずるに。安徳帝治承四年(紀元千壷百八拾年)源義経は武蔵坊弁慶・伊熱三郎・駿河治郎等の郎徒を具し、東海道玉川の渡しを過ぎけるが、頃しも二百十日の厄日にて南西の風吹き荒び、舟は見る見る押し流され大森下に漂えば一同安き心なく、波方を望むれば、小高き社見えしかわ、これ神のおはします処と其の方に向い海上平穏を念じければ、不思議や風やみ浪治まりぬ。義経霊に感じ、舟を瀬島につけ、葭をなぎ葦を分けて彼方の森を尋ぬれば、ささやかなる社の縁に白蛇顕われいたり。これ神の使ひなめならぬ。かしこし、厳島大神我等が運を守らせ給ひしことよと、里人に語らい改めて森を拓き、神殿を修理し、また船をとどめし処に注連竹を建て給う。是れ当社創立、起立の起源にして今を去ること八百年に及ぶ。
是れより里人等神徳を尊ぶこと愈々深く、海面守護の神として毎年正月十一日水神を祀りしが、ある年海面に建てし注連竹に黒き苔生じければ、人々怪しみてこれを採り嗜めけるに味あり。生酢干かにして食せば殊に風味よし翌年其の頃を計りて木枝多く建てけるに、またまた苔の生じければ種々製造法を考え遂に現今の如き乾海苔に製し年と共に製造するもの多し、海の苔即ち「のり」と称し鎌倉将軍に献上の栄を担い、江戸幕府開かるるに及び毎年将軍家に献上し、維新の際まで変わることなかりしは人の皆知る処なり。
嗚呼、大森の名産とし名誉海外にたかき海苔の濫觴たる如斯にして、如何に我が厳島大神の海面御守護の御神徳高きか、かしこくも尊きことにこそ。
三輪厳島神社

拝殿の北側にある「境内社銭洗弁財天社」です。この神社の西側には幹線道路である「産業道路」が通り、決して交通量は少なくないのですが、この弁財天の敷地内だけは異空間で静まり返っています。
ちなみに産業道路の三輪厳島神社前の信号の交差点名は「弁天神社前」なのです。。。
<参考文献>
東京都教育委員会『東京都遺跡地図』
大田区教育委員会『大田区の文化財 第7集 大田区の神社』
大田区教育委員会『大田区の文化財第30集 考古学から見た大田区 ―横穴墓・古代・中世 資料集―』
- 2015/08/15(土) 00:11:52|
- 大田区/その他の古墳・塚
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