
画像は、大田区南千束にある「洗足池」を東から見たところです。この池の周辺に「行人塚」と呼ばれる塚が存在したといわれています。『東京都遺跡地図』には未登録の塚です。
昭和14年(1939)に東京市大森區役所より発行された『大森區史』には、「行人塚 馬込の南千束に饅頭形に土を盛つた塚(鈴木太吉氏邸内)がある。昔は廣い野原の眞中であつたらうが今は畑の眞中に殘つて耕作の妨げにもなるので、畠の持主が人を雇ひ、自分が眞先となつて山を削り土を運んで塚を移し初めた。まだ半分もある、移し終らないうちに、一夜眼を病み失明しようとした。家族の驚き一方でない。何の爲だらうか、不思議といつてもまだ足りないと思つて近所の筮者に占はせたら、鎭魂の土を移したためにその祟りであるといふのである。そこで直ちに運んだ土を元の場所に移したら一眼は辛うじて治つたが、一眼は遂に永久に明を失ふこととなつた。それより塚の上に梅やつつじを植ゑ折々物を供へて祭ることにした。これが行人塚である。」と、この塚の祟りの言い伝えについて記述されています。
『大森區史』にある「行人塚」の跡地について、大田区教育委員会より発行された『大田区の文化財第22集 口承文芸(昔話・世間話・伝説)』では”南千束2-3 洗足池付近”と推定していますが、ここは現在「洗足池公園」として整備されており、塚の痕跡を見ることは出来ません。また、同書には地元の古老の口伝として「行人塚 洗足池のまわりに行人塚といわれる塚が二つあった。昔、池で修行をしていた行者が死んで塚に祀ったという。その一つは現在道路になってなくなってしまった。」とあり、「行人塚」と呼ばれる塚は2基存在したとしています。この記述からすると、2基あるうちのもう1基は残存しているとも解釈できるのですが、この周辺を散策した限りでは見つけることは出来ませんでした。

「行人塚」が所在したとされる南千束2丁目3番地には「勝海舟夫妻墓所」があります。向って右が海舟、左が妻のたみのお墓です。昭和49年に大田区の文化財に指定されています。

同じ敷地内には「西郷隆盛留魂祠」が建てられています。この留魂祠は元々は葛飾区の薬妙寺境内に建立されたものですが、大正2年に石碑とともに現在地に移設されたそうです。
<参考文献>
東京市大森區役所『大森区史』
大田区教育委員会『大田区の文化財第22集 口承文芸(昔話・世間話・伝説)』
大田区教育委員会『大田の史跡めぐり』
現地説明版
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- 2015/08/27(木) 01:28:58|
- 大田区/その他の古墳・塚
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洗足池、弁財天ありましたか??
行こうとしている所でした。笑
勝海舟夫妻のお墓があるのは初めて知りました。
1枚目の写真、綺麗で洗足池じゃなくて小さな島みたいですね。笑
- 2015/08/28(金) 17:35:31 |
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- 紅一点 #-
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洗足池の弁天島にあるのが弁財天ですよね?
初めてお参りして来ました。
洗足池にぽっかりと小島が浮んでいて、真っ赤な鳥居が映えていて、なかなか景観の良い場所だと思います。
- 2015/08/29(土) 21:33:03 |
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- ご〜ご〜ひでりん #OsZoF7Es
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