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古墳なう

「大都市、東京の失われた古墳を探せ!」をテーマに、 ご〜ご〜ひでりんが実際に現地に足を運んで確認した古墳や塚の探訪記録。

「梶原塚(将軍塚)」

「梶原塚(将軍塚)」

 大田区中馬込三丁目付近に所在したとされるのが「梶原塚」です。『東京都遺跡地図』には大田区の遺跡番号117番の”中世の墳墓”として登録されています。

 別名「将軍塚」とも呼ばれたこの「梶原塚」は現在の中馬込3丁目25番地、旧馬込村字松原の薬師堂付近に所在したといわれています。画像中央の道路を登り切った右側あたりが推定地であるようですが、正確な跡地はわからなくなっているようです。

 この塚の存在はかなり古くから知られており、江戸時代の地誌『新編武蔵風土記稿』には「梶原塚 村の中央にあり、高さ九尺許の石塔たてり、寛永十九年十一月朔日武州馬込住人奉行聖□□上人と刻せり、土人或は平三景時が墓なりと云、是も例の付会なることは万福寺梶原が墓の条下に弁せし如し、此塚何人の墓と云ことは知べからざれども、当所の旧主梶原氏が一族の内の墓なる事はさもありなん、」と書かれています。同書の記述からするとこの「梶原塚」には梶原平三景時の墓であるという言い伝えが残されているようですが、『景山花守随筆』にはこの塚は経塚であると記されており、また庚申塚であるという伝承もあり、諸説あるようです。この周辺地域から古墳や集落跡といった古墳時代の遺跡は全く確認されていないという歴史地理的環境からしても、この「梶原塚」が古墳ではなく後世の塚である可能性が高いのではないかとも思われますが、塚は発掘調査等が行われないまま開発により消滅しており、真相はわかりません。


「梶原塚(将軍塚)」

 画像は、大田区南馬込1丁目にある「万福寺」を南から見たところです。東京都内ではなかなか見ることのない茅葺きの山門が素晴らしいですね。
 このお寺には梶原景時の墓とされる墓石が残されており、また『新編武蔵風土記稿』に記述のある、「梶原塚」に立てられていたとされる石塔も移設されています。


「梶原塚(将軍塚)」

 画像が、万福寺境内に所在する梶原平三景時の墓です。現地説明版には次のように書かれています。


 当山開祖 梶原平三景時の墓
 梶原景時は源頼朝の重臣で鎌倉幕府の代表的武将である。治承四年(1180年)頼朝は伊豆において源氏再興の挙兵をなし小田原石橋山の戦いで平家の軍勢大庭景親に敗れた。
 この時景時はいち早く頼朝を助け洞穴にかくまい機を見て真鶴海岸より舟で安房(千葉)に逃れさせた。
 その後、頼朝と共に東国武士を臣属せしめて鎌倉幕府を擁立した。
 建久年間(1190年)には頼朝の命により当山を建立し大檀那となり三国伝来の三尊仏を本尊として祀り鎌倉殿の昌運と必勝祈願をなした。その霊験あらかたなり。
 源平の戦いでは義経・範頼等と共に兵を引きいて富士川の戦・一ノ谷の合戦などで勝ち赫々たる武勲を上げその名を天下に轟かす。
 景時は鎌倉殿の絶大なる信任により頼朝の随身として常に幕府の要職にあり終生変らず頼朝に忠節を尽し全うした。
 最も頼朝は命の恩人である景時がいなかったら頼朝もなく鎌倉幕府も出現しなかったと言われている。景時の功績は大きく実に天下をゆるがすものであり誠に美事と言わざるを得ない日本の歴史的重要な人物の一人である。
 頼朝薨去(1199年)後の正治二年正月廿(1200年)三河、今の静岡で壮烈な戦死を遂げ当山に祀る。
 歌舞伎十八番の石切梶原の鎌倉八幡宮社頭の名場面は余りにも有名である。
   昭和六十一年秋彼岸  萬福禅寺


 この万福寺には梶原景時を開祖檀越とする諸殿が伝えられており、また現在の大田区立郷土博物館周辺の谷の旧家の敷地が古くから梶原屋敷と呼ばれ、梶原景時の屋敷があったとの伝承もあるようですが、いずれも史実と附合するものではなく、俗説に過ぎないともいわれています。
 この五輪塔には、 地輪の正面に「正治二庚申年正月廿日、万福寺殿 香山不陰大居士 梶原平三景時之墓」と刻まれていますが、塔の様式や法号の大居士という表現から考えると近世になってつくられたものではないかともいわれています。


大田区 117 梶原塚 4

 画像が、同じく万福寺境内に所在する、梶原塚から移されたといわれている「日待供養塔」です。現地説明版には次のように書かれています。


 大田区文化財
   日待供養塔 
 この供養塔は、寛永十五年(一六三八)に馬込村の人びとが造立した。
 高さ三・一メートル。現在は新しい台石の上にのせられ、総高約四メートル。相輪が大きく、笠石・基礎が比較的小さい、近世初期によく見られる形式の宝篋印塔である。
 昭和三十年頃までは、中馬込三丁目二五番付近の梶原塚と呼ばれるところに建てられていたが、今は当寺の境内に移されている。
 馬込では大正期まで日待の習俗が行われており、江戸初期から現代まで伝承された民間信仰の資料として貴重である。
 昭和四十九年二月二日指定   大田区教育委員会


<参考文献>
学生社『大田区史跡散歩』
東京都大田区史編さん委員会『大田区史(資料編)地誌類抄録』
大田区教育委員会『大田区の文化財第30集 考古学から見た大田区 ―横穴墓・古代・中世 資料集―』
東京都教育委員会『東京都遺跡地図』
現地説明版


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  1. 2015/09/05(土) 11:55:28|
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