
画像は、大田区南馬込1丁目にある「万福寺」を南から見たところです。この万福寺の墓地の北側、現在の大田区南馬込1丁目41~50番あたりに所在したといわれているのが「馬込鐘塚」です。『東京都遺跡地図』には「馬込北久保遺跡」という名称で、大田区の遺跡番号141番の 平安時代の墳墓”として登録されています。
東京都大田区より発行された『大田区史(資料編)民俗』ではこの「鐘塚」について「鐘を埋めた塚」とあり、また昭和14年(1939)に東京市大森區役所より発行された『大森區史』にはこの塚の所在地について「たちうど 馬込町西一丁目森氏代々の居所を『たちうど』と稱してゐたが、その昔將軍家鷹狩の折にはこの地に見張人を立たしたことから起つたと。」、「鐘塚 ここ西一丁目右『たちうど』の附近から小徑を塚越に行く道があり、左方の墓地附近を俗に鐘越と稱してゐる。往古萬福寺の梵鐘を鑄造した場所である處からこの俗稱が起つた。」と書かれています。
これまでも何度か取り上げた「万福寺」の墓地の北側が塚の跡地であるといわれており、画像の左側あたりがこの場所にあたるのですが、残念ながら塚の痕跡を見ることは出来ません。『大森區史』には「万福寺の梵鐘を鑄造した場所である」とあり、その万福寺は1320年頃に現在地に移転していることからそれ以降に築造された塚であるとも考えられますが、真相はわかりません。
<参考文献>
東京市大森區役所『大森區史』
東京都大田区『大田区史(資料編)民俗』
大田区教育委員会『大田区の文化財第22集 口承文芸(昔話・世間話・伝説)』
大田区教育委員会『大田区の文化財第30集 考古学から見た大田区 ―横穴墓・古代・中世 資料集―』
人気ブログランキングへ
- 2015/09/12(土) 01:58:35|
- 大田区/その他の古墳・塚
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0