
港区三田1丁目にある、赤羽小学校から三田高等学校にかけて、塚が一基現存します。この塚は、「オセンチ山(猫塚)」と呼ばれ、古くから古墳ではないかと考えられてきたそうです。塚本体は三田高等学校内に存在しますが、赤羽小学校内の塚の裾部に「猫塚」の碑が建てられています。
平成21年(2009)に試掘、確認調査が行われましたが、明らかに保護措置の対象となるような埋蔵文化財は検出されなかったようです。塚本体の発掘調査はまだされていないものの、この「猫塚」がこれまで言われてきたような古墳である可能性はかなり低いようで、近世(江戸時代)の大名屋敷時代に築造された塚の可能性が高いようです。


左は「猫塚」の全景です。1985年に東京都教育委員会から発行された「都心部の遺跡」、「東京都遺跡地図」のインターネット公開版共に、直径19mの円墳と書かれています。
右が「猫塚」の碑です。現地説明板には下記のように書かれています。
猫塚
「今から百六十年ほど前に有馬藩の殿様に気に入られた女中がいました。その女中は、周りの者が嫉妬したせいで自殺してしまったのです。その女中の飼っていた猫が主人の敵をうつ為に、いじめた老女を食い殺してしまいました。そこで山村典善と小野川喜三郎という武士が、その猫を退治しました。この猫をともらうために建てられたのが、体育館裏の「猫塚」です。誰がいつ建てたのかは不明ですが、講談や歌舞伎で面白おかしく語り継がれています。」
- 2012/08/15(水) 02:41:20|
- 港区の古墳・塚
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