「薭田神社境内古墳」

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「薭田神社境内古墳」

 画像は、大田区蒲田3丁目にある「薭田神社」を東から見たところです。『東京都遺跡地図』には、この神社の境内に大田区の遺跡番号97番にあたる「薭田神社境内古墳」という名称の古墳(円墳)が登録されています。

 「薭田神社」は、『延喜式』の神明帳に記載される武蔵国荏原郡の古社二座のうちの一座といわれている神社です。この神社の境内には小円墳が所在したといわれており、境内からは埴瓮の破片が出土したという戦前の報告が残されています。
 大田区教育委員会により敷地内に設置されている説明板には次のように書かれています。


  大田区文化財
      薭田神社
 式内社と呼ばれる古い格式をもつ神社であ
る。平安時代(十世紀)に編纂された『延喜
式』の神明帳に記載され、また『三代実録』
に貞観六年(八六四)「武蔵国従五位下蒲田
神を以て並びに官社に列す」とあるのが、こ
の神社であろうといわれる。
 社伝によれば、和銅二年(七〇九)僧行基
が天照、八幡、春日の三神体を刻んで安置し、
鎌倉時代(十三世紀後半)に日蓮が村民の請
いをいれて開眼したと伝えられる。江戸時代
(十七~十九世紀後半)には隣接の栄林寺が
別当であったが、明治初年(十九世紀後半)
の神仏分離により独立し、旧社格は郷社に定
められた。
  昭和四十九年二月二日指定
            大田区教育委員会


 江戸時代の地誌『江戸名所図会』には、この薭田神社の境内に塚状のマウンドが描かれており、古墳の存在が想定されています。その後、大正時代にこの神社の敷地内を調査した大場磐雄氏は『武蔵蒲田町に於ける沖積層地の原始時代遺跡(歴史地理第47巻 第4号 67ページ)』の中で「余の調査によれば、本社境内に於て埴瓮の破片十一個を得たり。その中底部破片二個、口縁部破片一個、他は胴部破片にして、多くは赤褐色なれど二個の黒褐色刷毛目を有するやや古き埴生式に類するものあり。」と、出土した遺物について伝えており、また昭和5年にこの神社の敷地内を調査した松下胤信氏は『蒲田町附近の原始時代遺跡(武蔵野 第16巻 第6号 29~30ページ)』の中で「遺物の出土する地は、主として拝殿前方に當る生垣を以つて廻らされた地である。今採拾された埴瓮は三十數片存するが、大體無文黄赤褐色黒灰褐色燒成軟性を帶び、少數ながら刷毛目を施文してある。」と、遺物の出土した場所についても記しています。


「薭田神社境内古墳」

 画像は薭田神社境内のようすです。古墳は残念ながら完全に消滅しており、痕跡を見つけることは出来ません。。。

<参考文献>
東京都教育委員会『1985 都心部の遺跡』
東京都教育委員会『東京都遺跡地図』
谷川磐雄「武蔵蒲田町に於ける沖積層地の原始時代遺跡」『歴史地理 第47巻 第4号』
松下胤信「蒲田町附近の原始時代遺跡」『武蔵野 第16巻 第6号』
学生社『大田区史跡散歩』
現地説明版


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