
「星谷明神塚」は、西蒲田5丁目に所在したとされる塚です。『東京都遺跡地図』には大田区の遺跡番号193番の”時代不明の墳墓”として登録されています。
画像は、「星谷明神塚」が所在したとされる西蒲田5丁目(旧内人耕地200番地)周辺のようすです。この塚も、「女塚七塚」と称されていた7基の塚のうちの1基で、古代に築造された古墳だったのではないかとも考えられているようですが、埋葬施設や出土品の伝承はなく、塚は宅地化により削平されて消滅しているため、どういう性格の塚であったか詳細はわかりません。
大田区教育委員会より発行された『大田区の文化財第30集 考古学から見た大田区 ―横穴墓・古代・中世 資料集―』によると、この塚の名称にある「星谷」とは人名で新田氏の家臣であり、この塚に祀られていた明神はその祖先を祀ったものではないかと考えられているようです。また旧八幡塚村には「新田義興の家臣畑某の自害せしところ」であるという「畑明神社」がありましたが、この星谷家は義興以前に女塚村に入植土着したのではないかとも推測されています。
画像の西蒲田5丁目10番地周辺が塚の推定地であると思われますが、塚の痕跡を見ることは出来ず、正確な跡地を特定することは出来ませんでした。。。

画像は、西蒲田6丁目に所在する「女塚神社」を東から見たところです。七塚のうちの白山明神を除く六社(自従大明神を含む)と八幡社が合祀されて現在の八幡社となっており、つまりは「星谷明神」もこの神社に合祀されているということになるようです。
<参考文献>
蒲田町史編纂會『蒲田町史』
大田区教育委員会『大田区の文化財第30集 考古学から見た大田区 ―横穴墓・古代・中世 資料集―』
東京都教育委員会『東京都遺跡地図』
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- 2015/10/12(月) 23:56:45|
- 大田区/その他の古墳・塚
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