
「月輪霊神塚」は、西蒲田6丁目に所在したとされる、『東京都遺跡地図』には未登録の塚です。
この塚については、江戸時代の地誌『新編武蔵風土記稿』に詳しい記述を見ることが出来ます。
月輪霊神社 村民甚五左衛門の構のうちに、竹木生茂りたる古塚あり、相伝ふ此塚は本家八郎右衛門の先祖月村宗観の墳墓なり、安永七年塚上に社を建て、私に月輪霊神と祟めたりと、其時の棟札に月輪氏入道天正三乙亥歳八月二十八日、勧請年月安永七戌稔八月二十八日云云とあり、此文の意解しがたし、案に村民八郎右衛門が所持の三宝祖師の像は、入道宗観逆修の為につくりしとて、其年月をしるせしも、この棟札と同じ、これによれば宗観の卒年の定かならずして、ただ其ありし世のことを伝んがために、同じ年月をしるし置しならんと土人もいへり、さもありにしや、或は云宗観、実は月輪氏にて、ゆゑある人の支族なり、乱をさけ民間にかくれしとき、しばらく月村を氏とす、故に神に祀るに及て、実の氏を神号 とせるなりと、されど其たしかなる事をきかず、
塚の跡地とされているのは画像の右手前あたりであるようです。かなり密集して存在したとされる、「女七塚」と呼ばれた7基の塚群からかなりの近距離にあり、このうちの1基である「白旗明神塚」の跡地(画像の右奥、現在の大田区立西蒲田相生児童公園)からは西に数十メートルほどの存在します。この塚も古墳であった可能性もあるのではないかとも考えましたが、言い伝えから考えると後世の塚であったのかもしれません。残念ながら跡地とされる周辺はすでに宅地化され、塚の痕跡を見ることは出来ません。。。
<参考文献>
東京都大田区『大田区史 資料編 地誌類抄録』
大田区教育委員会『大田区の文化財第30集 考古学から見た大田区 ―横穴墓・古代・中世 資料集―』
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- 2015/10/14(水) 23:26:28|
- 大田区/その他の古墳・塚
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