
画像は、大田区南久が原2丁目に所在する「おしゃもじさま」を南西から見たところです。『大田区ホームページ』によると、道祖神とは道路の悪魔を防いで道行く人をお守りする神様であり、「おしゃもじさま(別名ドウロク様)」とも呼ばれるこの道祖神は咳と風邪の神様で、これが祀られているために鵜の木ではチフスが流行しても風邪にかからないともいわれているそうです。この道祖神の背後に現在も残存するのが「大桜大塚」です。『東京都遺跡地図』には大田区の遺跡番号165番の”中世の塚”として登録されています。
「大桜大塚」は、新田義興の入定穴であったという伝説が残されており、また義興手植えとされる八重山桜の巨木があったようですが、昭和初期に枯れてしまったそうで今はその姿を見ることが出来ません。古くは「大桜古墳」という名称で、古墳ではないかとも考えられていたようですが、平成4~5年にかけて古代・中世遺跡調査団により調査が行われており、中世の出土品である板碑の存在からこの塚は古代の高塚古墳ではなく中世の塚であると判断されています。またこの調査により、名称が「大桜古墳」から「大桜大塚」へと変更されています。

大桜大塚の周囲は宅地に囲まれており、全容を写真に収めることは出来ません。画像は隙間からわずかに見える塚のようすです。規模は径約10m、高さ2mほどの円形の塚で、頂部に祀られている祠の基壇部に出土した板碑がコンクリートで貼付けられているそうですが、残念ながら見学することは出来ませんでした。
新田義興の入定穴であるともいわれる大桜大塚ですが、出土した板碑の年代は1309年と1320年、1345年の3基で、新田義興が矢口の渡しで憤死した1331年以前の板碑が含まれていることから、塚は南北朝以前の築造であると考えられています。
発掘調査は行われていないようですが、光明寺境内に所在する「荒塚」のように古墳を流用して後世に築造した塚である可能性も残されているように思いますが、このあたりは何ともいえないところです。
<参考文献>
学生社『大田区史跡散歩』
大田区教育委員会『大田区の文化財第22集 口承文芸(昔話・世間話・伝説)』
大田区教育委員会『大田区の文化財第30集 考古学から見た大田区 ―横穴墓・古代・中世 資料集―』
東京都教育委員会『東京都遺跡地図』
人気ブログランキングへ
- 2015/10/26(月) 00:38:50|
- 大田区/その他の古墳・塚
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0