
画像は大田区鵜の木1丁目、光明寺境内上墓(ウワンバカ)地区の「光明寺荒塚古墳2号墳」跡地を北東から見たところです。『東京都遺跡地図』には大田区の遺跡番号90-3番に登録されている古墳です。
この光明寺の墓地からは古くから大量の板碑が発見されており、中世の遺跡の存在が想定されていたそうです。平成5年2月から翌6年8月にかけて行われた都道環状8号線の建設工事に関連した調査により、旧石器時代の生活跡、縄文時代の遺物の出土、弥生時代の方形周溝墓の発見に加えて、「荒塚」が古墳として確認され、またその後の近世にわたる火葬墓や集石墓も大量に発見されており、現代までの2千年にわたる日本の墓制をたどる貴重な遺跡であることがわかっています。
「光明寺荒塚古墳2号墳」は墳丘はすでに消滅していましたが、発掘調査により「1号墳」の西側から周溝が検出され、直径16.5mの円墳であったことがわかっています。画像の左側に見えるのが「荒塚(光明寺荒塚古墳1号墳)」で、その右奥あたりが2号墳の跡地にあたるようですが、古墳の痕跡は何も残されていないようです。
文化6年(1809)にこの地を訪れた大田南畝が境内に散乱していた板碑を整理した際、銘文の読めない断碑を一括して塚を築き、そこに埋めて記念碑を建てたと『調布日記』に記されているそうですが、この塚の場所はわからなくなっており、ほかにこの上墓地区には「上人塚」と呼ばれる地点があり、そこからは板碑片のほか火葬墓2か所と埋設された蔵骨器一か所が発見されています。ひょっとしてこの周辺には他にも多くの古墳があり、後世に塚として再利用されていたものも存在するのかもしれませんね。
<参考文献>
学生社『大田区史跡散歩』
東京都大田区「鵜の木光明寺の発掘調査」『大田区史研究 史誌』
東京都教育委員会『東京都遺跡地図』
人気ブログランキングへ
- 2015/11/17(火) 01:16:56|
- 大田区/鵜の木久が原古墳群
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0