
画像は、世田谷区瀬田四丁目にある「将監塚(西岡2号墳)」を北から見たところです。かつて西岡秀雄氏により「西岡12号墳」として報告された、世田谷区の遺跡番号111番の塚です。
中世、このあたりに住んでいた伶人(雅楽を演奏する人)で笛師の柳田将監にちなんで、小高い台地になっているこの一帯を「将監山」と名付けたそうで、かつてその柳田将監が入定した塚があったのだそうです。この「入定」とは、本来の意味は禅定(ぜんじよう)に入ることで,仏教では悟りを開くことだそうなのです。禅定は悟りを開く手段として思慮を止めて無念無想になることであるから,入定はそのような精神状態に入ることを意味するのだそうですが、真言密教の究極的な修行のひとつとしての意味もあるそうで、入定した塚ということはもしかしたら即身仏となって埋まったままになっているのではなかろうか?などと勝手な妄想しながら見学しました。

昭和49年(1974)6月のパトロールの際、塚の東部から縄文土器1片と寛永通宝2枚が出土し、また昭和57年(1982)にも神道禊教の神殿建築による緊急発掘で、先土器のナイフ形石器1個、縄文・古墳時代などの土器等230点あまりが出土したそうです。
塚の四方はすべて削られていて、原型はとどめていないようです。1985年に東京都教育委員会から発行された「都心部の遺跡」では径6mの円墳としながらも、中・近世の塚の可能性が高い、とありますが、「東京都遺跡地図」のインターネット公開版では、はっきりと”径9m、高さ1.7mの塚”とされています。
この塚は、聖アントニオ神学校の敷地内に所在します。教会の正門を入ったすぐ左手には「将監山遺跡」の石碑が建てられています。職員の方に撮影の許可をいただき、見学させていただきました。
<参考文献>
世田谷区史編さん室『世田谷区史料 第8集 考古編』
東京都教育委員会『1985 都心部の遺跡』
- 2012/08/22(水) 03:52:15|
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