
多摩川中流域左岸に立地するこの一帯は「下布田遺跡」と呼ばれており、縄文時代から古墳時代、奈良・平安時代の集落、太平洋戦争に関連する遺構などが発見されています。遺跡東部の約5000㎡の区域が、縄文時代晩期の数少ない遺跡として昭和62年に国史跡として指定されており、その北側に、古墳が帯状に集中して造られた下布田古墳群が所在します。これまでに14基の古墳が確認されており、これらの古墳は5世紀前半に造られ始め、7世紀前半まで続いたことがわかっています。
「下布田5号墳」は調布市下布田6丁目にある古墳です。『東京都遺跡地図』には調布市の遺跡番号54-5番の古墳として登録されています。昭和55年(1980)に実施された調査により周溝の東側の一部が初めて発見され、その後の平成16年(2004)から翌年にかけての調査により更に全体の2分の1が調査されています。規模は外径約20m、内径約17mほどの円墳で、周溝内からの遺物の出土はなく埋葬施設も検出されなかったようです。
さて、この下布田地区一帯は第二次世界大戦中に高射第一1師団高射砲第112連隊第14中隊の矢ケ崎照空隊陣地が設営された場所であったといわれていますが、この5号墳の場所にも古墳を流用して掩体が築かれ、照空灯が設置されていたようです。昭和20年の航空写真を見ると、3号墳と5号墳の場所が円形の古墳跡のような地形に見えるのですが、これはどうやら掩体の痕跡であるようです(もちろん古墳の痕跡ともいえるわけですが)。
画像の畑の位置から宅地の部分にかけてが古墳の跡地となるようです。。。
<参考文献>
多摩地区所在古墳確認調査団『多摩地区所在古墳確認調査報告書』
調布市郷土博物館『下布田古墳群の調査』2003
調布市遺跡調査会『下布田遺跡』2006
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- 2015/12/14(月) 02:15:38|
- 調布市/下布田古墳群
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