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古墳なう

「大都市、東京の失われた古墳を探せ!」をテーマに、 ご〜ご〜ひでりんが実際に現地に足を運んで確認した古墳や塚の探訪記録。

「新田義興塚(旧新田神社裏古墳・迷い塚・荒墳・荒山)」

「新田義興塚」

 画像は、大田区矢口1丁目に所在する「新田神社」を東から見たところです。この神社の敷地内には、新田義興の墳墓であるとされる「新田義興塚」が所在します。『東京都遺跡地図』には大田区の遺跡番号163番の”中世の墳墓・その他(塚)”として登録されています。

 この新田神社は新田義興を祭神とする東京府時代の府社で、周辺地域ではこの新田義興公にまつわるとても有名な伝説が残されています。この伝説は様々な文献で目にすることが出来ますが、ここはひとつ新田神社の由緒に書かれている物語を紹介したいと思います。

由緒
 昔、日本中で戦いが続いていた「室町時代」。新田義興公(にったよしおきこう)という、とても強くて勇敢な武将がいました。義興公は新田義貞公(にったよしさだこう)の次男として生まれ子供のころの名前を徳寿丸といいました。青年になった徳寿丸の勇敢な姿を見た後醍醐天皇が武士の位と義興という新しい名前を授けて下さいました。
 その頃日本は国が南と北に別れ、争いを繰り返していました。義興公は天王を守るために戦いました。そして、勇気と知恵でどんな大軍にも打ち勝ったので、武将として有名になりました。大勢の敵が襲ってきても義興公が負けることはありませんでした。
 敵の武士たちは、義興公のことが怖くてたまりませんでした。そこでいくさでは義興公に勝てないので卑怯な作戦を立てました。敵の竹沢と江戸という武士が見方の降りをして義興公に鎌倉で戦うことを進めました。それを信じた義興公は鎌倉へ行くために多摩川の矢口の渡というところから船に乗りました。ところが義興公の乗った船は敵に襲われて沈んでしまったのです。(1358年10月10日)
 義興公が敵に騙されて死んでしまった矢口では、不思議なことが起こりはじめました。夜になると、ぽうっと怪しい光が現れるようになり雷がたびたび落ちるようになりました。それから、もっと不思議なことに、義興公を裏切った人は次々と義興公の怨霊に悩まされ狂死しました。それを見た村人たちは義興公の祟りを鎮めるために義興公の墳墓の前に神社を作ることにしました。
 こうして村人たちは新田神社を作り、義興公を「新田大明神」としてあがめたのです。やがて義興公は、村人や旅人の「運を開き守り、幸せに導く霊験あらたかな神様」として人々から広く崇敬されるようになりました。
 義興公の物語は江戸時代には平賀源内によって歌舞伎・浄瑠璃「神霊矢口渡」というお芝居にもなり、其の壮絶な生涯は今も語り継がれています。

 義興公は、わずか13人の従者とともにこの地に至り、義興公が多摩川の矢口の渡で船に乗ったところを船頭が船底に穴をあけて船は水中に没し、対岸からは江戸氏の軍勢が矢を射かけ、義興公は自刃して果てたといわれています。
 周辺地域に残る新田義興公にまつわる言い伝えの数からしても、この出来事は村人たちにとって衝撃的な事件であったのだと思いますが、神社は義興公の祟りを鎮めるために村人たちに築造されたといわれており、塚は義興公の墳墓であるとされています。



「新田義興塚」

 画像が「新田義興塚」です。古くは「荒山」、「迷い塚」などとも呼ばれていたそうですが、近年では塚は古墳ではないかとも考えられていたようで、1985年に発行された「都心部の遺跡」ではこの塚は「新田神社裏古墳」という名称で取り上げられており、「塚の可能性が高い」としながらも径22.5mの”円墳”とされています。

 塚には他にも多くの言い伝えがあり、塚の真ん中にある「舟形」は、義興公の舟と鎧を埋めたものが杉になったものだといわれていますが、この杉は残念ながら落雷により消失しています。また、塚の後方に映えている竹は源氏の白旗を立てたものが根付いたもので、これは「旗竹」と呼ばれて雷が鳴るとビチビチと割れたといわれています。


「新田義興塚」

 「新田義興塚」前に立てられているのは、昭和49年2月に大田区の文化財に指定されている「矢口新田神君之碑」です。延享3年(1746)に石城国(福島県)守山藩主、松平頼寛が造立した碑で、新田義興公の事績と神社創建の由来が記されています。


「新田義興塚」

 境内の御神木は、樹齢700年にも及ぶそうです。過去に落雷や戦災によって幹が大きく真二つに裂けてしまいましたが、毎年新緑の季節には青々とした葉を繁らせるそうです。古木上部には、とても珍しい「宿り木(植物の一種)」が生息しており、春には淡黄色の小花が咲くそうです。そして、この御神木に触れると「健康長寿」「病気平癒」「若返り」の霊験があるという古老の言い伝えがあるそうです。
 僕もこの御神木にゆっくりと触れてみました。いかにも御利益のありそうな、パワーあふれる大木です。

<参考文献>
学生社『大田区史跡散歩』
東京都大田区『大田区史 資料編 地誌類抄録』
大田区教育委員会『大田区の文化財第22集 口承文芸(昔話・世間話・伝説)』
大田区教育委員会『大田区の文化財第30集 考古学から見た大田区 ―横穴墓・古代・中世 資料集―』
東京都教育委員会『東京都遺跡地図』
現地説明版


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