飛田給古墳群は、調布市の最西端に位置しており、府中崖線上の立川段丘面縁辺部に所在する古墳群です。東には下石原古墳群が、西には府中市の白糸台古墳群が隣接しており、飛田給古墳群と府中市白糸台古墳群は主体部や墳丘の規模、構造等がほぼ共通しており、行政区分は異なるものの一連の古墳群であると考えられています。
明治初年の地租改正の際に作成された『地籍図』をみると、現在削平されてしまった古墳ではないかと思われる地割りが残されています。この周辺の地割りは長方形か方形の整然とした区画が基本であるようですが、この中に不規則に小さな区画を見ることができます。このうち、上石原字桜塚587の地番にあたる地点が「桜塚2号古墳」で、『東京都遺跡地図』には調布市の遺跡番号51-7番に登録されている古墳です。
古墳はその後、昭和58年(1983)の発掘調査により確認されています。調査当時のこの古墳は、南北約5m、東西約4mの範囲で高さ0.8mほどの低い盛り土状の小山が残されており、埋葬施設が検出されています。主体部は南側に開口する横穴式石室であると想定されており、石室内からは金環、銀環、鉄鏃、刀子、ガラス玉が出土しています。そしてさらに平成7年(1995)に行われ調査では周溝の一部が検出され、河原石積横穴式石室の古墳に周溝が巡っていたことが明らかになっています。出土遺物から7世紀中頃に築造された古墳であると考えられています。
画像は、調布市飛田給2丁目の「桜塚2号古墳」の跡地を東から見たところです。古墳はすでに消滅しており、残念ながら痕跡を見ることは出来ません。
画像は、調布市郷土博物館に展示されている、桜塚2号墳の石室内から出土した「金環・ガラス小玉」です。金環とは、イヤリングのように耳たぶにつける装身具であるそうですが、私はイヤリングをつけたことはありませんが、これを耳につけるのはなかなか重たそうですね。。。
<参考文献>
調布市市史編纂委員会『調布市史 上巻』
多摩地区所在古墳確認調査団『多摩地区所在古墳確認調査報告書』
調布市教育委員会・調布市遺跡調査会『桜塚古墳』2000
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- 2016/01/05(火) 01:48:27|
- 調布市/飛田給古墳群
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