
御嶽塚古墳群は、JR南武線西府駅南側の府中崖線上に広がる、府中市西端に存在する古墳群です。東西約600m、南北約100mの範囲に分布しており、西端は国立市の「下谷保古墳群」につながると考えられています。当初は「高倉古墳群」の一部であるとされていましたが、古墳の分布に違いが見られることや高倉古墳群との間に小規模な開析谷が入り込んでいることから、現在は別々の古墳群とされています。
「御嶽塚17号墳」は、府中市府中第五小学校校庭整備に伴う第1315次調査により周溝が検出された古墳です。墳丘は削平されており、周溝の位置部が検出されたのみで規模は不明で、主体部についても未調査であるため詳細のわからない古墳です。画像の、府中第五小学校の敷地の北方角のバックネットのあたりが古墳の跡地であると思われますが、痕跡は何も残されていないようです。
この周辺地域に存在したといわれる多くの古墳や塚については江戸時代の地誌類にも記されており、住吉町3丁目にある正光院所蔵の絵図には「べったら塚」、「鎧塚」、「正光院塚」といった塚が描かれていたそうです。この絵図は現在所在不明となっており、塚の正確な位置はわからなくなっているようですが、いずれもこの第五小学校周辺のハケ上(府中崖線縁辺)に存在したようです。延宝6年(1678)の検地帳には「べったら塚」という小字名が見え、また他に「大塚」などの小字名もあるようです。また戦後まで残されていたといわれている「正光院塚」については猿渡盛厚著『武蔵府中物語』に記述が見られ、当時道路普請のために発掘が行われて刀剣類が沢山出たものの、その刀剣類は所在不明であることが書かれています。また『武蔵名勝図会』には、現在の御嶽塚の周辺に高さ1丈4、5尺の「堂塚」が所在したことが書かれています。
残存する古墳は御嶽塚古墳1基のみという御嶽塚古墳群ですが、古くは名称のある塚も数多く見られることから、かつてはかなりの數の古墳が存在していたことがうかがえます。今後新たな古墳の発見も考えられ、更なる調査の進展が楽しみな地域であると思います。
<参考文献>
猿渡盛厚『武蔵府中物語 第八編』
府中市教育委員会『府中市内旧名調査報告書 道・坂・塚・川・堰・橋の名前』
多摩地区所在古墳確認調査団『多摩地区所在古墳確認調査報告書』
府中市教育委員会・府中市遺跡調査会『武蔵国府の調査 39』
府中市教育委員会・府中市遺跡調査会『武蔵国府関連遺跡調査報告 40』
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- 2016/02/21(日) 01:02:06|
- 府中市/御嶽塚古墳群
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