
「№4-A遺跡」は、発掘調査等で確認されていない、言い伝えにのみ残されている古墳の推定地です。昭和3年(1928)から4年頃に行われた南武鉄道(現在のJR南武線)の敷設工事の際に出土したといわれる5振りの鉄刀と2つの鍔が現存しているものの、出土地点については、分倍河原駅からその西方の1号跨線橋までの間に存在した塚であるという言い伝えが残されているのみで、正確な位置はわからなくなっているようです。この場所の南武線は切り通しとなっており、またその周辺は宅地化が進んでいるため塚の痕跡を地上に見ることは出来ません。ただし、明治の地籍図には線路沿いの地点に不正形の芝地があり、この場所は画像の線路の中央左側あたりになるようですが、確認は不可能で、これも候補地の一つに過ぎないようです。
この塚の推定地は高倉古墳群中でも特に古墳が密集した地域にあり、南武鉄道の敷設工事に際しても複数の古墳が破壊されたといわれており、またこの付近で数度にわたる遺物の出土があったともいわれています。現在30基前後が確認されている高倉古墳群ですが、今後の調査が楽しみな地域であると思います。
出土した鉄刀の鍔は防錆処理のためのX線透過検査の結果、見事なハート形の象嵌文様が確認され、現在は府中市の有形文化財に指定されているそうです。
<参考文献>
多摩地区所在古墳確認調査団『多摩地区所在古墳確認調査報告書』
深澤靖幸「高倉古墳群出土の銀象嵌装大刀」『府中郷土の森紀要 第11号』
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- 2016/02/26(金) 03:38:02|
- 府中市/高倉古墳群
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