
画像は、調布市布田6丁目にある「下布田6号墳(狐塚古墳)」を南西から見たところです。『東京都遺跡地図』には調布市の遺跡番号54-6番の古墳として登録されています。
この古墳は下布田古墳群中唯一墳丘の残る古墳で、史跡公園として整備され、公開されています。今年に入って説明板が新しく設置されているようなので、まずはこの説明板を紹介したいと思います。
市指定史跡・市指定有形文化財(考古資料)
下布田六号墳(狐塚古墳)及び出土品
所在地 布田六丁目五十三番地一~四
指 定 平成二十六年三月十四日
下布田六号墳(狐塚古墳)は、多摩川沖積地を望む立
川段丘縁辺部(府中崖線)に立地する下布田古墳群内に
ある古墳です。下布田古墳群は、五世紀前半から七世紀
前半にかけて造営された古墳群で、これまでの調査で円
墳十七基が確認されています。このうち六号墳は、古墳
群の最終段階、古墳時代終末期にあたる七世紀前半に築
造された円墳で、地元では「狐塚」と呼ばれていました。
昭和二十年代前半には墳丘の大半を削平され、わずかな
高まりを残すだけとなっていましたが、平成十二年度、
布田六丁目土地区画整理事業に伴い発掘調査が行われ、
周溝と主体部が確認されました。
古墳の規模は、周溝の内径が約四四m、周溝幅を含め
ると約六〇•五mを測り、終末期古墳としては多摩川流域
で最大級の規模を誇ります。墳丘中央部には主体部とし
て横穴式石室が残されています。石室は、奥壁に凝灰岩
質砂岩切石を、側壁に河原石を積み上げ構築し、床面に
は河原石を敷きつめています。切石と河原石を併用した
石室は類例が少なく、特異な構造です。石室内からは副
葬品として鉄製大刀三点、小刀一点、?二点、刀子一点、
鉄鏃一点が出土しています。
下布田六号墳は、墳丘や石室の規模、副葬品の内容な
どから、古墳時代終末期における多摩川流域の盟主墳に
位置付けられ、その被葬者は在地豪族の系譜を引く有力
首長層と考えられます。調布市域のみならず南関東地方
の古墳時代終末期の様相を理解するうえで欠かすことの
できない重要な古墳です。
平成二十七年三月二十七日
調布市教育委員会 昭和20年代に墳丘が壊されてしまったというこの下布田6号墳ですが、調査当時には埋葬施設周辺が周りの畑より80cmほど高くなっていて、その下に天井部分が壊れた状態の河原石積横穴式石室が残っていたそうです。画像の、公園の敷地すべてが古墳の基底部ということになるようですが、周囲は道路により削られて方形に残されています。この6号墳の位置は第二次世界大戦中に高射第一1師団高射砲第112連隊第14中隊の矢ケ崎照空隊陣地が設営された場所であるようですが、この場所は円形の掩体ではなく方形に築かれていたようなので、ひょっとしたらこの名残なのかもしれません。

画像は、史跡公園として整備された墳丘上のようすを北西から見たところです。調布市教育委員会により新しく建てられた説明板の奥には、植込みの下に横穴式石室が残存しています。

画像は、現地説明版に掲載されている石室の出土状況の写真です。いったいどんな人物がこの古墳に埋葬されていたのでしょうか。
下布田6号墳には「狐塚」の名の通り、地元の郷土誌に数多くの狐に関わる言い伝えが残されているようです。一部は、「調布の動物ばなしOnLine」というHPで見ることが出来ます。この周辺に狐が暮らしていたとは、開発の進んだ現代では想像もつきませんね。

画像は、調布市郷土博物館に展示されている、下布田6号墳より出土した「鉄製大刀・小刀・鍔・鏃」です。大刀は調布市内初の出土例で、上野地域や房総半島北の古墳を中心に出土しており、房総半島北部から供給された可能性が考えられているそうです。この出土品は、調布市の文化財に指定されています。
ちなみに私は、短い期間ですがかなり以前にこの周辺でアルバイトをしていたことがあり、この日もちょっと遠回りをして、国領駅前の「熊王」のラーメンを食べながら、懐かしい気持ちになりました。もちろん味は相変わらずの絶品で、醤油ラーメンがお薦めです。
国領駅前は以前は開かずの踏切で通勤時間帯はいつも大渋滞となっていましたが、最近は京王線が地下鉄となり、渋滞は解消されたようです。布田駅前も以前の面影はなく、綺麗に整備されています。また機会があったら訪れてみようと思います。
<参考文献>
多摩地区所在古墳確認調査団『多摩地区所在古墳確認調査報告書』
調布市郷土博物館『下布田古墳群の調査』2003
調布市遺跡調査会『下布田遺跡』2006
現地説明板
人気ブログランキングへ
- 2015/12/15(火) 00:53:12|
- 調布市/下布田古墳群
-
| トラックバック:0
-
| コメント:4
ご~ご~ひでりん様、こんにちは。国領にご縁がおありのようですね。私は調布の生まれで、国領に住んでおりました。幼いうちに引っ越してしまったので「熊王」は知りませんでしたが、今度行ってみようと思います。
ところで狐塚古墳の南にある郷土博物館の分室脇、西側の空地に、何やら盛りあがった墳丘状のものがありました。まさか古墳ではないと思いますが、崖線上でもあり、いい雰囲気で気になる感じでした。
いずれにしても調布は古墳の痕跡がほとんど残っていなくて残念です。
- 2017/03/02(木) 09:36:02 |
- URL |
- michikusa520 #-
- [ 編集 ]
michikusa520さま、こんばんは。
国領に住んでおられたのですね。私は若き日に国領でアルバイトをしていましたので、調布から狛江あたりは比較的土地勘があります。当時は、まさか古墳巡りのために最訪するとは思っても見ませんでしたが。笑。
熊王ラーメンは、おなかがすいたバイト帰りによく食べていたので、今でも近くを通るとついつい寄ってしまいます。
郷土博物館の分室脇の塚状地形は「古墳なう」でいずれふれようと思っていたのですが、確か「戦時中に高射砲が設置された盛土」とかそんな感じの塚だったように思います。資料がすぐ見つからないので、記憶に自信がありませんが、発掘は行われていないかもしれません。
- 2017/03/03(金) 01:04:04 |
- URL |
- ご〜ご〜ひでりん #OsZoF7Es
- [ 編集 ]
ご~ご~ひでりん様、どうもありがとうございます。
熊王、ますます行ってみたくなりました。
分室脇のもの、やはり何かしら意味のある盛土だったのですね。さすがです。「古墳なう」の記事、楽しみにしております。
個人的には出生地も近いこともあり、若竹幼稚園裏(?)の国領南1号墳という古墳にも興味があるのですが、平日の昼に幼稚園の周辺をウロウロするのはどうも憚られますね。。。
- 2017/03/03(金) 09:36:49 |
- URL |
- michikusa520 #-
- [ 編集 ]
michikusa520さま
若竹幼稚園の周辺は私もウロウロしました。笑。この周辺からは何基かの方墳(方形周溝墓?)が確認されているようなので、調べてからあらためて行ってみようと思っているのですが、なかなか行けません。
- 2017/03/04(土) 09:50:01 |
- URL |
- ご〜ご〜ひでりん #OsZoF7Es
- [ 編集 ]