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古墳なう

「大都市、東京の失われた古墳を探せ!」をテーマに、 ご〜ご〜ひでりんが実際に現地に足を運んで確認した古墳や塚の探訪記録。

「高倉古墳群 20号墳」

「高倉古墳群 20号墳」

 「高倉古墳群」は府中市西方、京王線分倍河原駅の西側に広がる立川段丘緩斜面一帯に位置する古墳群です。その多くは墳丘が失われているものの、周溝を持つ直径9~26mの円墳で構成されています。このうち、比較的規模の大きい古墳は木棺直葬であると推測されており、発掘された周溝からの出土品から6世紀前半頃の築造と考えられています。また、規模の小さな古墳は河原石積横穴式石室を主体部に持ち、石室から出土した埋葬品から6世紀後半から7世紀にかけて築造されたと考えられています。

 「高倉20号墳」は、府中市美好町3丁目に所在する古墳です。府中市内では墳丘の残る数少ない古墳のうちの1基で、武蔵国府関連遺跡の第785次調査で周溝の南側が検出されたことにより、この塚が古墳であったことが確認されています。未調査部分である北側に残存する墳丘は、現在の地表面より約1.4mほど高い塚状の高まりとして残されており、主体部の規模によるものの、この墳丘中に主体部が遺存している可能性も想定されているようです。古墳の規模は、内径18.8mの周囲に幅4.3m前後の周溝が巡る円墳で、周溝内からは土師器の坏や壺が出土しています。

 画像は南西から見た高倉20号墳です。手前の駐車場のあたりが周溝が検出された場所で、南側の奥に藪に覆われた墳丘を見学することができます。


「高倉古墳群 20号墳」

 画像は北西から見た高倉20号墳です。墳丘南側はブロック塀により直線的に切られており、これ以外の墳丘裾部も古墳の高まりを保護するためにコンクリートの土台に玉石を並べた土留により円形に削平されています。

 この古墳の見学の際に知ったのですが、どうやら地元の一部の人はこの20号墳を「耳塚」と呼んでいるようです。「耳塚」は、道の両側に一対に存在したという伝承が残されており、20号墳のすぐ南側から発見された「高倉21号墳」は耳塚の伝承地とほぼ重なるような位置から検出されており、21号墳が2基存在した耳塚の1基ではないかと推定されているようです。もう1基の対になる「耳塚」がこの20号墳であった可能性も考えられるところではないでしょうか。

 この耳塚をはじめ、首塚、胴塚、鼻塚、腕塚、千人塚などと呼ばれる、往古の合戦で戦死した人々の遺骸や身体の一部を埋葬したという伝承の残る塚は、日本中に無数に存在します。ただし、これらの伝承が全て史実であるとは限らず、近年の発掘調査の結果、古墳であったり中世の経塚であることが判明したという事例も少なくありません。ちなみに府中市内では、元弘3年(1333)に戦われた分倍河原合戦で亡くなった三千人の戦死者を埋葬した塚であるといわれる「三千人塚」について昭和30年と平成17年に発掘調査が行われており、伝承とは関係がなく、鎌倉時代後期に築造された墳墓に、江戸時代に塚の高まりが造られたことがわかっています。また、美好町3丁目にある「首塚」に関しては近年の発掘調査により周溝が検出され、古代に築造された古墳であることがわかっています。

 室井康成著『首塚・胴塚・千人塚』には「近年では、歴史学においても、塚の伝承の真偽について検証する試みがなされている。たとえば清水克行は、戦国時代の合戦における死者の耳を埋葬したとする「耳塚」について、その伝承内容が史実を反映したものではないということを、信頼できる史料をあげながら論証した。それによると、その特徴的な形状などから「耳塚」とよばれていた由来不詳の塚が、後に歴史の知識を蓄えた人々によって、過去に起きたそれらしい合戦と結びつけられ、いつしか「史実」として定着した疑いが強いという。」と書かれています。ちなみに清水克行氏は『耳塚・鼻塚・鉄火塚 村の慰霊碑が語る戦国の伝説』のなかで19基の耳塚、鼻塚を紹介していますが、実際に戦場で削いだ耳や鼻が葬られているものであることが証明できる事例は京都方広寺の一例をのぞいてほとんどなく、考古学的に耳塚と証明されたものは一例もなかったとしており、府中市美好町の耳塚についても、「一対になって道の両側にあるから」という説が穏当な解釈であるとしています。


「高倉古墳群 20号墳」

 やはり、分倍河原の合戦で亡くなった戦死者の耳を葬った塚であるという説はあくまで史実ではなく伝承であり、一対になって道の両側に存在した2基の古墳であるという説が妥当であるようです。。。

<参考文献>
府中市教育委員会・府中市遺跡調査会『武蔵国府関連遺跡調査報告 40』
清水克行「耳塚・鼻塚・鉄火塚 村の慰霊碑が語る戦国の伝説」『慰霊の系譜 死者を記憶する共同体』
室井康成『首塚・胴塚・千人塚 日本人は敗者とどう向きあってきたのか』


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  1. 2016/03/23(水) 08:51:28|
  2. 府中市/高倉古墳群
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