
前回は西多摩郡瑞穂町殿ヶ谷に存在したといわれる「小山古墳」を紹介しましたが、殿ヶ谷の阿豆佐味天神社周辺には、ほかにも数ヶ所の古墳ではないかと考えられる塚が存在していたといわれています。残念ながらこれらの塚は古墳に関連する遺物の出土などの事例もなく消滅していますが、痕跡を見ることのできる塚は僅かながらも残されているようです。
阿豆佐味天神社の南方、現在の新青梅街道のあたりにも、かつて小高い塚の上に榎の大樹が存在しており、古墳ではないかと考えられていたようです。瑞穂町役場より昭和49年(1974)に発行された『瑞穂町史』にはこの塚について、「阿豆佐味天神社から1キロほど南方新江戸街道の辺に、昭和41年9月24日の台風で老幹が吹き折られてしまったが榎の大樹があった。この榎は小高い丘の上にあったが、この丘も昭和46年に整地されて今は失われてしまった(これ等が、確実な古墳であれば阿豆佐味天神社を奉祭した豪族の古墳であろうと考えても不自然ではない。)」と書かれています。
画像は、復元された現在の「一本榎の塚」を東から見たところです。かつては現在の場所の交差点を挟んだ向かい側(東側)に存在していたようですが、現在はジョイフル本田瑞穂店の駐車場の一角に再現されています。

この一本榎の塚の前の道は、江戸時代前期に江戸と青梅方面を結ぶ道として作られた古道で、この周辺では「江戸街道」(武蔵村山方面では市街道、村山通り江戸道、引又街道とも呼ばれる)と呼ばれる主要道路でした。塚の敷地内にも「江戸街道」と書かれた立て札が立てられています。また、榎の大木だけではなく塚の盛り土も再現されており、往時と変わらぬ姿を見ることができるようです。

榎の大木の下には塚が築かれ、塚上には現在も大きな石の庚申塔が建てられています。横には「文化十癸酉歳九月吉、武刕多摩郡邑山郷殿ヶ谷村」、台右には「惣村、講中、発願主 小峯佐兵衛」と刻まれています。
<参考文献>
瑞穂町役場『瑞穂町史』
瑞穂町史編さん委員会『瑞穂小史』
瑞穂町教育委員会『炉辺夜話』
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- 2016/06/04(土) 00:55:33|
- 武蔵村山市•瑞穂町の塚
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